トップQs
タイムライン
チャット
視点
結婚戦争
ウィキペディアから
Remove ads
『結婚戦争』(けっこんせんそう、イタリア語: Il marito è mio e l'ammazzo quando mi pare)は、1968年(昭和43年)製作・公開、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督のイタリア映画である[1][2]。イタリア式コメディの1作である[1][2]。
Remove ads
略歴・概要
本作は、1967年(昭和42年)、ローマの映画会社イタル=ノレッジョ・チネマトグラフィコが製作、イタリアの映画プロデューサーシルヴィオ・クレメンテッリが代表を務めるクレシ・チネマトグラフィカが企画製作を開始し、翌1968年に完成した[2]。アルド・デ・ベネデッティの執筆した原案を、ヤヤ・フィアストリ、ルイジ・マーニ、ステファーノ・ストルッキの3人が脚本を共同執筆した[1][2]。劇伴音楽の作曲を行ったアルマンド・トロヴァヨーリは、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ作品には初登板であった[3]。
本作は、イタル=ノレッジョ・チネマトグラフィコが配給し、イタリアでは1968年2月8日に公開された[2]。2006年(平成18年)9月6日、「94分」のヴァージョンでDVDが Koch Media によりイタリアで発売された。
日本では、2011年(平成23年)2月現在に至るまで劇場公開、テレビ放映、DVD等のビデオグラム販売等は行われていない[4]。アルマンド・トロヴァヨーリのベストアルバム『スパーク・イン・シネマ』(1994年)、あるいは『チャオ!チャオ!トロヴァヨーリ』(2002年)等が日本で独自に編まれ、『結婚戦争』のタイトルで日本でも知られるところとなる。
Remove ads
スタッフ・作品データ
- プロデューサー : シルヴィオ・クレメンテッリ
- 監督 : パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ
- 原作 : アルド・デ・ベネデッティ (en:Aldo De Benedetti)
- 脚本 : ヤヤ・フィアストリ (Jaja Fiastri [5])、ルイジ・マーニ (en:Luigi Magni)、ステファーノ・ストルッキ (Stefano Strucchi [6])
- 撮影 : ロベルト・ジェラルディ (Roberto Gerardi [7])
- 美術 : フラヴィオ・モゲリーニ (Flavio Mogherini)
- 編集 : ルジェッロ・マストロヤンニ (Ruggero Mastroianni)
- 音楽 : アルマンド・トロヴァヨーリ
- 製作 :
クレシ・チネマトグラフィカ、イタル=ノレッジョ・チネマトグラフィコ (Ital-Noleggio Cinematografico [8])
- フォーマット : カラー映画(イーストマンカラー) - ヨーロピアンヴィスタ・サイズ(1.66:1) - モノラル録音
Remove ads
キャスト
- クレジット順
- カトリーヌ・スパーク - アッレグラ
- ハイウェル・ベネット (Hywel Bennett) - レオナルド
- ヒュー・グリフィス - イニャツィオ
- フランチェスコ・ムーレ (Francesco Mulé) - オスタンツォ
- パオロ・ストッパ (en:Paolo Stoppa) - スペレンツォーニ
- ジャンリコ・テデスキ (en:Gianrico Tedeschi) - 死化粧師
- ロモロ・ヴァッリ (en:Romolo Valli) - 執事
- アルファベット順
- ヴィットリオ・カプリオーリ (Vittorio Caprioli)
- ピナ・チェイ (Pina Cei)
- ジャンニ・マーニ (Gianni Magni)
- ミレーナ・ヴコティッチ (Milena Vukotic)
あらすじ
巨匠音楽家の老人イニャツィオ(ヒュー・グリフィス)と結婚した若く美しいアッレグラ(カトリーヌ・スパーク)は、若く美しい青年レオナルド(ハイウェル・ベネット)と出逢う。アッレグラはレオナルドとタッグを組み、夫イニャツィオを殺してしまおうと、あの手この手を仕掛けるが、どんなことをしても、偶然のタイミングで助かってしまう。不死身のイニャツィオに呆れ果て、アッレグラとレオナルドは逃げ出し、イニャツィオは再び演奏をたのしむ悠々自適の晩年に戻る。
脚注
参考文献
関連事項
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads