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織田信治

日本の戦国武将 ウィキペディアから

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織田 信治(おだ のぶはる)は、戦国時代武将織田信秀の五男とも七男とも伝わる[1]織田信長の弟。子に柘植正俊。尾張野府(野夫)城主。

概要 凡例織田 信治, 時代 ...

生涯

兄・織田信長に従って野府城(現在の一宮市立開明小学校付近が城址)を与えられていた[1]

元亀元年(1570年)9月19日未明、浅井・朝倉連合軍が宇佐山城に迫ってきた際、信治は京都から2000の援兵を率いて救援に駆け付けた(『来迎寺要書』)[2]。9月20日、森可成青地茂綱と共に宇佐山城から出て浅井長政朝倉義景の連合軍と近江坂本で戦ったが(宇佐山城の戦い)、衆寡敵せず可成、茂綱と共に戦死した(『信長公記』)[1][2][3]。享年27[1]

子の柘植正俊江戸幕府旗本となった[1]。野府城主の座は津田元嘉が継いだとされる[4]

脚注

参考文献

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