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至正集
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概要
許有壬は彰徳府湯陰県の出身で、元代で始めて行われた科挙で延祐2年(1315年)に進士になった人物であった[1]。モンゴル朝廷に仕えて以後、仁宗・英宗・泰定帝・明宗・文宗・寧宗・順帝の7朝に半世紀近く仕えた政府の高官であった。
『至正集』は本来100巻構成で許有壬が晩年に自ら編纂したものと考えられるが、許有壬の息子の許楨が左遷された際に原本は散逸してしまった[1]。明代の弘治年間には五世の孫の許顒が『至正集』と内容的に近しい『圭塘小稿』13巻を刊行するも注目されず、清代に入ると鈔本81巻のみが『四庫全書』に収録された[1]。また、宣統3年(1911年)に李時燦が聊城の鄒道沂の家蔵の鈔本81巻を石印刊行したものが『元人文集珍本叢刊』に収録されている[1]。
妙本81巻は賦1巻・詩28巻・序記14巻・碑志21巻・公移4巻・楽府4巻で構成され、他の史料には見られない貴重な記事も多いため、元代史研究の重要史料としてしばしば用いられている[1]。
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内容
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脚注
参考文献
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