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航海士の希望

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航海士の希望』(こうかいしのきぼう、: The navigator's hope)はジョアン・ミロが1968年から1973年にかけて制作した連作絵画。これらの半数は Pilar Juncosa の寄贈によってバルセロナミロ美術館に所蔵され[1]、残りは各々個人蔵となっている[2]

概要 作者, 製作年 ...

背景

この連作の主題は、ミロの実生活と直接関係が無いようである。一方、同時期の同種の作品には、当時の様々な事件との明確な関係が見られる。例えば『死刑囚の希望』はフランコ政権によって有罪とされ処刑された活動家サルバドール・プッチ・アンティックにまつわるものであり、『燃やされた画布』は1968年5月の五月革命に触発されたものかもしれない。

1968年から1973年にかけて、ミロはマヨルカにいた。そこで彼は自らの画風をかえりみて、また東洋文化への興味を新たにしていた。激しい色合いの上に描かれる書道的な筆使いから、ジャック・デュパン英語版はミロが日本美術に影響を受けていたと指摘している。マドリード・コンプルテンセ大学の Pilar Cabañas が述べているように、この影響は遠く離れた日本と相補的な関係にあった。すなわち1937年に東京で開かれたシュルレアリスム展に際し、瀧口修造[3]は日本で初めてミロの評論を著した。ミロと瀧口は語り合い、何らかの共同制作を行ないたいと表明したものの、個人的事情と瀧口の健康上の理由により、それが実を結んだのは1967年になってのことであった。『航海士の希望』の連作が開始されたのは、その翌年である。その年、マーグ画廊英語版で開かれたミロの展示会カタログには、いくつかの詩がミロ自身による挿絵つきで載せられたが、その中には瀧口の詩もあった。その後1970年代半ばまで、ミロと瀧口は何度か共同制作を行なっている[4]

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各作品

いずれもカンバスに油彩で描かれている。

さらに見る 作品, 制作年 ...
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解釈

デュパンによるとこの連作には、ミロが1968年に繰り返し用いた手法が見られる。それは黒または暗色を背景とした、鮮やかな色使いに特徴づけられる[13]。1968年に制作された連作の最初の 2 枚は、『死刑囚の希望』と明らかな類似点が見られる。それは特に筆使い、および図と背景の関係に現われている。対照的に、1973年に制作された残りの絵は、ニューヨーク近代美術館に所蔵されている1966年の『母音の歌』[14]に似ている[15]。連作の最後の方は太い線の数が増えることにより、黒い背景はよく目立つ大きな色面によって埋められてゆき、筆使いは東洋の書道のそれに似たものとなっている。

いつであろうと、ミロが赤い点を描いたら、それは他のどこでもなくそこにあり、そこにあるべきなのだ。

出典

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