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若林敬順

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若林 敬順(わかばやし けいじゅん)は、江戸時代後期の医師。町医者だったが、将軍徳川家治の危篤に際し一時幕府医官となった。

概要 凡例若林 敬順, 時代 ...

略歴

医術に巧みなところから、天明4年(1784年12月1日、将軍家治に拝謁し、お目見得医師の一員となる。

天明6年(1786年8月16日、将軍家治の急病により日向陶庵とともに登城を命じられ、同月19日には奥医師(禄200俵)に任じられた。しかし敬順の調薬は却って家治の病状を悪化させたため、翌20日、奥医師大八木伝庵に交代した。25日に家治は薨去し、敬順は28日改易され町医者に戻った。また敬順と日向陶庵を登用した田沼意次にも非難が集中し、意次失脚の一員となった。

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