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草倉銅山
かつて新潟県東蒲原郡にあった銅山 ウィキペディアから
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草倉銅山(くさくらどうざん)は、新潟県東蒲原郡両鹿瀬村(現在の阿賀町鹿瀬)にあった銅山(銅の鉱山)。1914年(大正3年)に閉山した[2]。
歴史
江戸期には発見されていたという[2]。1875年(明治8年)に古河市兵衛が津川の商人・平田治八郎から経営権を買い取り、本格開発が始まった[2]。鉱山ふもとの角神(つのがみ)には製錬所や河港が整備された[2]。精銅は阿賀野川を利用して帆掛け船で各地へ運ばれた[3]。1883年(明治16年)には別子銅山に次ぐ国内第2位の産出量となったが枯渇が進み、1914年(大正3年)に閉山となった[2]。
跡地には建物は残っていないが[4]、石垣等の遺構や無縁墓が残る[1]。角神の精錬所跡は鹿瀬ダムに沈んでいる[5]。
操業時は煙害等の問題も発生しており、津川出身の郷土史家、赤城源三郎は、「草倉銅山こそ公害の原点である」と指摘している[1]。
脚注
関連項目
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