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藤原喜蔵
日本の実業家 (1888-1956) ウィキペディアから
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藤原 喜蔵(ふじわら きぞう、1888年〈明治21年〉1月2日[1] - 1956年〈昭和31年〉4月29日[2])は、朝鮮総督府官僚。岩手県水沢市長。
経歴
岩手県胆沢郡水沢町(現・奥州市)生まれ[3]。1914年(大正3年)に東京帝国大学法科大学独法科を卒業した[4]。青森県属、同警視、同東津軽郡長、同理事官を経て、1919年(大正8年)に朝鮮総督府に転じた[5]。咸鏡南道警察部長、平安南道警察部長、京畿道警察部長、朝鮮総督府官房秘書課長、平安南道内務部長、同知事を歴任した[5]。その間、1927年(昭和2年)にはジュネーブ海軍軍縮会議に随員として参加した[5]。
1935年(昭和10年)に退官した後は朝鮮洋紙株式会社社長、北鮮製紙化学工業専務取締役などを務めた[5]。
1950年(昭和25年)6月18日から1954年(昭和29年)3月31日まで水沢町長を務めた[6]。
1954年水沢市長選挙
同年、水沢市が発足した[7]。これに伴う市長選挙に自由党公認で立候補して、2人を破って初当選を果たした[7]。
※当日有権者数:23,148人 最終投票率:84.1%(前回比:-pts)
4月29日に市長に就任した[4]。
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著書
- 『朝鮮の回顧』(近沢書店、1945年) - 和田八千穂との共著
脚注
参考文献
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