トップQs
タイムライン
チャット
視点
藤原経憲
ウィキペディアから
Remove ads
藤原 経憲(ふじわら の つねのり)は、平安時代後期の貴族。藤原北家勧修寺流、少納言・藤原顕憲の子。官位は従五位下・蔵人大夫。
経歴
兄弟達と同様、従兄弟である藤原頼長の側近となり、その家司を務める。その容貌は兄達より美麗であったと、頼長によって評されている(『台記・久安3年6月22日条』)。
保元元年(1156年)の保元の乱に当たっては、崇徳上皇、頼長方に参加。敗北後は出家するも捕らえられ、近衛天皇や美福門院を呪詛した嫌疑によって兄・盛憲と共に拷問にかけられた後、隠岐国へと流罪となった。没年を含め、その後の足跡は不明である。
系譜
関連作品
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads