トップQs
タイムライン
チャット
視点

藤原親盛 (左衛門尉)

ウィキペディアから

Remove ads

藤原 親盛(ふじわら の ちかもり)は、平安時代末期の武士歌人藤原北家長良流。官位従五位下左衛門尉大和守後藤親盛とも称した。

概要 凡例藤原親盛, 時代 ...

略歴

大和守・藤原親康の子として誕生。

北面武士として後白河上皇に仕える一方、歌人としても頭角を現す。仁安2年(1167年閏7月12日右兵衛権少尉に任じられ、翌年1月11日には平康頼と同時に左兵衛少尉に任ぜられる[1]承安2年(1172年)閏12月の東山歌合等に出詠している他、自らも二度にわたり歌合を主催している。俊恵道因小侍従西行といった同時代の歌人との交流があり、『千載集』以下の勅撰和歌集に入集。私撰集『百題抄』、家集に『親盛集』を遺している。また今様でも上皇の弟子であった。

建久3年(1192年)3月、上皇の崩御に際して出家。法名を見仏と称す[2]。没年を含めその後の事績は不詳。

脚注

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads