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蘇妙珍
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蘇 妙珍(そ みょうちん、1955/56 - )は、北朝鮮による拉致被害者[1]。
拉致事件
要約
視点
1978年、蘇妙珍はポルトガル領マカオのリスボア・ホテルで、1〜2歳年下の孔令譻(こう れいいん)とともに宝石店員として働いていたところを、日本からの観光客を装った北朝鮮工作員によって拉致された[1][2]。当時彼女は22歳であった[1][2]。一緒に拉致された同僚の孔令譻とは、事件以前から互いに家族ぐるみの交際があった[1]。2人は宝石店で働くほか、収入を得るため観光客ガイドの副業もしていた。
この年の夏、蘇と孔の2人は30歳ぐらいの自称日本人男性の案内のため、市内のあちこちをめぐった[2]。2人の男性は十分なガイド料を支払い、裕福そうに振る舞って、英語も達者であった[2]。7月2日、彼らのガイドのため海岸に行くと、そこでナイトクラブで働いているという10歳くらい年上の初対面の女性と一緒になった[2]。4人でボートに乗せられ海岸付近を巡回したのち、沖に出て無理やり大きな船に乗せられて北朝鮮に連行された[2]。船のなかで、孔令譻はまだ若く恐怖に震えてばかりいたが、ナイトクラブの女性は「なぜ私たちを連れて行くのか」と激しく抗議したという[2][3]。
曽我ひとみの夫チャールズ・ジェンキンスは、2人の失踪と同じ日にポルトガル領マカオから失踪したタイ人女性アノーチャ・パンジョイからアノーチャ拉致の件について詳細に聞いており、そのことを自身の手記 "The Reluctant Communist" (消極的な共産主義者)、および『告白』(2005年、角川書店刊)に記述している[1]。"The Reluctant Communist"によれば、マカオでマッサージセラピストとして働いていたアノーチャ・パンジョイは、「自称日本人」観光客の男をボートツアーに連れて行き、ガイドすることに同意した[4]。7月2日、彼女は近くの海岸で待ち伏せされ、無理やりボートに乗せられて拉致され、北朝鮮に連行された[4]。また、『告白』によれば、アノーチャを乗せて北朝鮮に向けて連行した船のなかには、アジア人女性が他に2人いたという[1][注釈 1]。
孔令譻は、平壌直轄市龍城区域東北里の招待所に収容されているとき、孔や蘇妙珍より先に北朝鮮に拉致された韓国の有名な女優、崔銀姫と会い、何度も話して親密になった[1][2][5]。1979年6月頃から同年の9月にかけてのことであった[1][2][5]。自ら夫とともに脱出した崔は、手記にそのことを記し、それを読んだ大韓航空機爆破事件(1987年)の実行犯金賢姫は、孔令譻が、1984年6月から8月にかけて、龍城40号招待所で自分たちに中国語(北京語)を教えた中国人女性であることに気づき、そのことを公表した[6]。そうしたこともあって孔令譻の身の上や北朝鮮での生活も相当知られているが、蘇妙珍の方は、北朝鮮に連行されたのち孔令譻ともずっと会えない状態が続いていたといい、その詳細は不明な点が多い[1]。
なお、2006年10月8日、中華人民共和国を訪問した安倍晋三内閣総理大臣は、晩餐会の席で温家宝国務院総理に「中国人で拉致された人はいるか」と尋ねたのに対し、温家宝は「確認されていない」と答えている[3]。
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脚注
参考文献
外部リンク
関連項目
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