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許率母
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許 率母(こ そちも[1] / きょ そつも[2]、生没年不詳)は、百済の官吏。官位は達卒。故国の滅亡に伴い倭国(日本)へ亡命した。
記録
『懐風藻』によれば、大友皇子の学士の一人で、沙宅紹明・答㶱春初・吉大尚・木素貴子らとともに
『五経』に詳しく、671年(天智天皇10年1月)、吉大尚・角福牟とともに小山上の冠位を授けられた[3]。
676年(天武天皇6年5月)、この時既に大博士(養老律令の大学博士にあたる。)であったが、大山下の位を授与され、改めて食封30戸を賜与されている[4]。
脚注
参考文献
関連項目
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