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赤澤元造
日本の牧師 ウィキペディアから
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赤澤 元造(あかざわ もとぞう、1875年(明治8年)8月10日 - 1936年(昭和11年)5月12日)は、日本の牧師、日本メソジスト教会第4代監督、青山学院第5代理事長。
略歴
1875年(明治8年)に岡山県に生まれる。1888年(明治21年)にキリスト教に入信し京都で受洗する。1895年(明治28年)に米国ハワイに行った時に、木原外七に出会い、木原より影響を受けて直接献身を決意する。その後、米国ヴァンダービルト大学で神学を学ぶ、その後卒業し、帰国後に日本メソジスト教会 の牧師になる。大阪、神戸などで伝道牧会をする。
日本メソジスト教会の伝道局長を経て、1930年(昭和5年)から1936年に没するまで、日本メソジスト教会第4代監督を務めた。1930年には、第5代青山学院大学理事長に就任する。
晩年、ホーリネス分裂事件に際して、渡辺善太、阿部義宗、吉崎俊雄らと共に中田重治監督側と委員側の調停に関わる。赤澤は丹毒で死を覚悟した時も、遺言として阿部義宗に調停を託する。自宅に、中田重治・あやめ夫妻と委員側と共に会食したり調停に奮闘するが、ホーリネス教会の和協分離を見ずして死去する。
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著書
参考文献
- 米田勇『中田重治伝』
- 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
外部リンク
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