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足利聡氏
日本の江戸時代後期~大正時代の大名・知藩事。江戸幕府旗本宮原義直次男で、下野喜連川藩11代藩主喜連川縄氏養子(明治9年離籍)。喜連川藩12代藩主。従五位下左馬頭 ウィキペディアから
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足利 聡氏(あしかが さとうじ[1]/としうじ[1])は、幕末・明治初期の大名。下野喜連川藩の第12代(最後)の藩主・知藩事。
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生涯
幕臣1400石高家職・宮原摂津守義直の次男として江戸に生まれる。実母は宮原家の家女。明治2年(1869年)4月8日に先代足利(喜連川)縄氏の養嗣子となり、同年5月5日に縄氏が隠居したために家督を相続した。同年6月18日、従五位下・左馬頭に叙任する。版籍奉還に伴い、喜連川藩の知藩事に任ぜられる。
明治3年(1870年)7月18日に知藩事を返上、喜連川藩は日光県に合併された。同日に東京在住を命じられ、明治4年(1871年)2月5日に永世禄として現米193石を下賜された。
明治9年(1876年)9月3日に病のため隠居し、先代縄氏の長男の足利於菟丸を養嗣子として家督を譲る。同年9月25日、実家の宮原家へ復籍する。なお、隠居・離籍の本当の理由は、債務返済の行き詰まりのためであった。大正10年(1921年)1月21日に死亡、享年65。妻のうめは昭和17年(1943年)1月17日に死亡、享年71。宮原家の方の家督は実子の宮原巌夫が相続した。
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系譜
父母
正室
- うめ
子女
- 宮原厳夫
養子
脚注
参考文献
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