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足摺型給油艦
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足摺型給油艦(あしずりがたきゅうゆかん)は、日本海軍の給油艦。航空母艦への航空機用軽質油(ガソリン)補給艦である。同型艦は2隻が建造された。
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概要
足摺型は昭和15年度(1940年)決定のマル臨計画により、昭和16年度艦艇製造費で建造された[13]空母随伴用の8,000トン型給油艦(揮発油運搬艦(中)[2])である。④計画で建造された「洲埼」に続く艦であるが、補給品搭載量は約2倍であり、大型空母2隻に航空機用ガソリンを給油できる能力を持たせた。
当初は軽質油の運搬、補給を主とする極簡単な艦型とする予定だったが爆弾、魚雷、弾薬から糧食、真水も補給し、更に航空機機材の搭載も要求されたため、軍艦形式に近い艦型となった[14]。艦の中央部は軽質油タンクとし、空母のそれと同じ全溶接構造で作られた[15]。その周囲には空所が設けられ、万一漏洩した際にここに滞留するようにし、またバラストタンクとも兼用した[15]。前部マスト後部の甲板上に防舷物として使用する18トンの浮船を2個搭載し、その揚げ降ろしのために前部マストも頑丈な3脚マストとして20トンの大型クレーンが装備された[16]。艦の後方には機械室上の中甲板に補給用潤滑油庫を設け、ドラム缶に詰めた潤滑油を納めた[15]。また飛行機部品格納所や補給用弾薬庫も設けられ[17]、後部マストに装備した5トンデリック4基で積み卸しをした[8][17]。
足摺型は三菱重工業長崎造船所で2隻建造され、1943年(昭和18年)に竣工、運送艦(給油艦)に類別された。竣工後は南方からのガソリン輸送に使用され、シンガポールやバリックパパンなどと内地やサイパンなどの各地を往復、1944年(昭和19年)6月に両艦とも戦没した。そのため、当初想定していた機動部隊に随伴し空母に給油するという機会は、1度も訪れなかった。
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同型艦
参考文献
- アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
- Ref.C08030617300『自昭和十九年五月一日至昭和十九年五月三十一日 (第三十号掃海艇)戦時日誌』。
- 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝 全八六〇余隻の栄光と悲劇』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0386-9。
- 『世界の艦船増刊第47集 日本海軍特務艦船史』、海人社、1997年3月。
- (社)日本造船学会 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2。
- 福井静夫 編『-海軍造船技術概要別冊- 海軍艦艇公式図面集』今日の話題社、1987年12月。ISBN 4-87565-212-7。
- 福井静夫『日本補助艦艇物語』 福井静夫著作集第10巻、光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2。
- 牧野茂、福井静夫 編『海軍造船技術概要』今日の話題社、1987年。ISBN 4-87565-205-4。
- 雑誌「丸」編集部 編『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年8月。ISBN 4-7698-0463-6。
- 「特務艦 一般計画要領書 附現状調査」
脚注
関連項目
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