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辻ひろしとザ・ハッタリーズ

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辻ひろしとザ・ハッタリーズ(つじひろしとザ・八タリーズ)は、日本ボーイズ。文字通り、辻ひろし(別名:辻弘)[注 1]をリーダーとするグループだった。コミックバンドと紹介される場合もある[3]

別名は辻弘とザ・ハッタリーズ[3]辻ひろしとハッタリーズ[2]辻弘とハッタリーズ[2]ザ・ハッタリーズ[4]

概要

1954年昭和29年)に「辻ひろしとバイオリン・ハッタリーズ」の名前で結成[5]。辻ふくめバイオリン3人[5]ピアノ1人[5]で構成された[注 2]。その後、「辻ひろしとザ・ハッタリーズ」に改称し[5]1961年(昭和36年)4月に再結成[5]

バンドのコンセプトについて、辻は「ボーイズである以上、音楽を大事にする」「社会風刺を自然に盛り込む」「独自の演出構成を盛り込む」という目標を掲げていた[6]

「ハッタリーズ」の名は、向こうっ気は強いが、いざという時に頼りにならない。したがって、ハッタリでもきかそうという意味から名付けられた[5]

メンバー

  • 辻 ひろし(つじ ひろし、1926年=大正15年 - 1983年=昭和58年8月12日[注 3])…東京府(のちの東京都)生まれ[注 4]青山学院早稲田大学政経学部卒業[5]。大学在学中よりバイオリンを習い[6]、卒業後は松本新室内楽団[6]、桜井潔[6]とその楽団[6]等を渡り歩き[6]、タンゴ、ジャズなどのバンドを編成[6]。その後、音楽とお笑いの融合を模索してボーイズに進出[6]。本グループでは、リーダー兼バイオリン担当[5]。バイオリンの弓を扇子に持ち替え『越後獅子』を演奏するという特技をもっていた[6]
  • 水原 雪雄(みずはら ゆきお、? - 1999年=平成11年7月18日[注 5])…本名:菅谷 武司[7]。北海道出身[7]。再結成時にエレキギターを担当[5]。のちに軽演劇を経て[7]1980年(昭和55年)[8]または1981年(昭和56年)に[7]みのべ実と[8]お笑い新幹線(おわらいしんかんせん)というコミックバンド[7]を結成し[7][8]、東京の寄席を中心に出演[7]。ボーイズバラエティ協会相談役[7]も務めた。
  • 山下 こうた(やました こうた)…再結成時にエレキギターを担当[5]
  • ひびきわたる1963年(昭和38年)4月に入門し、1966年(昭和41年)4月に漫談家として独立するまで在籍[9]
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出演番組

※辻ソロによる出演も含む。

  • モダン寄席(フジテレビ
    • 完ちゃんのサラリーマン心得帖(1959年10月26日 - 11月9日、全3回) - 「辻弘」名義[1]
    • 今様金手本忠臣蔵(1959年12月14日) - 「辻弘とハッタリーズ」「辻弘」名義[2]
  • まり子の七夕まつり(1962年7月7日、日本テレビ) - 「ザ・ハッタリーズ」名義[4]
  • 大正テレビ寄席NETテレビ[注 6]
  • 歌うリングコーン タイトルマッチ(1964年6月8日 - 同年9月28日、月曜 20:30 - 21:00に朝日放送ラジオで放送[10]) - 各職場より2チームの対抗による歌合戦[10]。「辻ひろしとザ・ハッタリーズ」名義で司会を担当[10]。審査員として桜京美、大野正雄、森乃福郎、人見きよしが出演した[10]
  • ロイ・ジェームス・ショーTBSラジオ) - 1964年7月にワイド番組『オーナー』の1コーナーとして開始した当初からレギュラー出演[11](「ザ・ハッタリーズ」または「辻ひろしとザ・ハッタリーズ」名義)[注 7]

脚注

参考資料

外部リンク

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