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近藤滋弥
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近藤 滋弥(滋彌、こんどう しげや、1882年(明治15年)9月17日[1] - 1953年(昭和28年)8月20日[1][2])は、明治から昭和期の造船技術者、実業家、政治家、華族。貴族院男爵議員。

経歴
実業家・近藤廉平の三男として生まれる[1][3]。父の死去に伴い、1921年(大正10年)2月28日、男爵を襲爵した[1][3][4]。
1909年(明治42年)イギリスのグラスゴー大学造船科を卒業[2][3]。1911年(明治44年)東京市電気局技師に就任[2][3]。以後、横浜船渠専務取締役、三光紡績社長、日本光学工業監査役などを務めた[2][3]。
1925年(大正14年)7月10日、貴族院男爵議員に選出され[5][6]、公正会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで3期在任した[2]。
親族
脚注
参考文献
関連項目
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