トップQs
タイムライン
チャット
視点

連合国 (第一次世界大戦)

中央同盟国と戦った国々 ウィキペディアから

連合国 (第一次世界大戦)
Remove ads

連合国 (れんごうこく、英語: Allies) または協商国 (きょうしょうこく、: Entente) は、第一次世界大戦中央同盟国(同盟国:ドイツオーストリアオスマン帝国ブルガリア王国)と戦った国家連合。条約等で用いられた正式名称は同盟及び連合国: Allied and Associated Powers)であり、同盟 (Allied) はイギリスフランス日本ロシアなどの同盟国、連合 (associated) は同盟関係にないアメリカ合衆国などを指す[1]

Thumb
  中央同盟国及びその植民地
  連合国及びその植民地
  中立国

経緯

Thumb
三国協商と三国同盟

第一次世界大戦前夜、ドイツオーストリアイタリア三国同盟に対して、フランスロシアイギリス露仏同盟英仏協商英露協商を相互に結んで三国協商として対抗したのが始まりである。

1914年、第一次世界大戦が勃発すると、日本日英同盟によりイギリス政府から参戦を要請され、協商側の連合国に加わる。イタリアは1915年未回収のイタリアの返還がロンドン密約で約束されると連合国に転じた。

また、これらの国々と軍事同盟を結んでいなかったアメリカ合衆国は、中立国としてふるまう一方、連合国寄りの対外政策を取り、物資の調達などによって連合国を支援するにとどまった。しかし、ドイツ海軍無制限潜水艦作戦によるルシタニア号事件等で対独感情が悪化する中で起きたツィンメルマン電報事件が決定打となり、1917年に連合国として参戦した。一方、ロシアは1917年の2月革命により帝政が崩壊し、十月革命の後政権を握ったボリシェヴィキ政府は単独でドイツと講和し(ブレスト=リトフスク条約)、連合国から離脱した。

当時は独立国でなかったポーランドチェコスロバキアヒジャーズ王国アルメニア共和国などの独立派も連合国側として戦い、戦後に独立を認められ、講和条約に参加している。

戦争終結後も、パリ講和会議などを通じて、アメリカ合衆国を除いてだが国際連盟の創設をはじめ、世界秩序の基本として連携は存続したが、ドイツをも含めたロカルノ体制の成立により、連合国としての枠組みは消滅した。

Remove ads

連合国一覧

主要国

その他の連合国

英連邦内の連合国

ドイツ、オーストリア=ハンガリー、ブルガリアに宣戦した連合国

ドイツ、オーストリア=ハンガリーに宣戦した連合国

ドイツのみに宣戦した連合国

戦後に独立を承認された連合国

Remove ads

宣戦布告年月日

要約
視点

背景黄色は実態無しの戦争状態。

さらに見る 日付, 宣戦国 ...

連合国の動員数と死傷者

さらに見る 国名, 動員数 ...
Remove ads

備考

  •  ノルウェー—中立国として参戦しなかったが、大戦初期のアメリカ同様、親連合国的政策を取り、「中立の連合国」といわれた。
  •  ルクセンブルク—ベルギー同様ドイツ軍の侵攻を受けたが、宣戦布告は行わず、中立国であった。
  •  サンマリノ—イタリア参戦後、イタリアが警官を送って監視措置を開始する。またイタリア戦線の野戦病院を援助していたため、オーストリア=ハンガリー帝国はサンマリノと断交している[19]

脚注

参考文献

Loading content...

関連項目

Loading content...
Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads