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道登
飛鳥時代の僧 ウィキペディアから
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概要
『日本書紀』には、645年(大化元年)に僧旻などとともに「十師」として挙げられ[1]、650年(白雉元年)に、穴戸国(後の長門国)の国司が白雉を献上した際に、天皇の諮問に高麗の故事を引いて祥瑞であることを上奏して、白雉に改元されることとなったという記事がある[2]。
また放生院にある宇治橋断碑(『帝王編年記』に碑文の全文を残す)には、646年(大化2年)に宇治橋を架設したとある。ただ『続日本紀』では道昭の功績とされており[3]、実際のところは不明[4]。同じ碑文に山尻(山城)出身とある。『日本霊異記』[5]や恐らくそれを踏まえた『今昔物語集』[6]には高麗の僧であるとするが、これは高麗の故事に通じていたことに引きずられた訛伝だろう。
脚注
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