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酒井新二

日本のジャーナリスト ウィキペディアから

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酒井 新二(さかい しんじ、1920年1月4日 - 2016年12月18日[1])は、日本のジャーナリスト

経歴

東京都千代田区神田須田町に自転車屋を営む家の7人兄弟の次男として生まれる。浦和高等学校を経て[2]東京帝国大学法学部政治学科(南原繁研究室所属)を卒業。短期現役海軍主計科士官(9期)を志願し、1942年9月に海軍経理学校に入校[2]。1943年(昭和18年)1月、海軍主計中尉に任官し経理学校を卒業[2]太平洋戦争に従軍しラバウルをはじめ南方海域を転戦。1944年5月に海軍主計大尉に進む[2]。1945年8月6日の広島原爆を呉にて、9日の長崎原爆を大村にて体験。松山海軍航空隊主計長兼同地軍需部支部員として終戦を迎えた[2]

戦後、三井物産に就職するも財閥解体に伴い、1947年共同通信社に入社。政治部長、パリ支局長を経て編集局長、専務理事を歴任後1985年社長に就任(1991年まで)。相談役を経て1994年より同社顧問。1978年から1981年まで日本記者クラブ理事長。1986年フランス政府より国家功労勲章「オフィシエ」章受章。1993年勲一等瑞宝章受章[3]国語審議会委員、日本舞台芸術振興会委員、カトリック社会問題研究所幹事などを歴任。

2016年12月18日、肺炎のため死去。長男は音楽プロデューサーのフランコ酒井

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著書

脚注

参考文献

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