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野澤富美子
日本の小説家 (1921-2017) ウィキペディアから
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野澤 富美子(のざわ ふみこ、1921年2月13日 - 2017年10月13日[1] )は、日本の作家。別の筆名「小池 富美子」もある。
人物・経歴
神奈川県横浜市生まれ[2]。尋常小学校を卒業後、女中や女工として働くが、病弱のため長続きせず、『ホトゝギス』に小説を投稿。1940年、19歳の時、短編小説「隣近所の十ヶ月」が高浜虚子に認められ、『ホトゝギス』1940年4月号に掲載されてデビュー。短編小説「煉瓦女工」が『公論』(第一公論社)1940年5月号掲載され、同年5月、第一公論社からこれらの作品を集めた短編集『煉瓦女工』が発刊され、ベストセラーとなる。短編小説「藪入り」(『婦人公論』1940年6月号)が第11回(1940年・上半期)直木賞に参考候補となる[2]。短編集『煉瓦女工』は、八田尚之によって脚色されて、1940年に南旺映画で千葉泰樹監督により映画化された(検閲により公開見送りとなり、1946年になって公開される)[3]。『長女』(第一公論社)を同年11月に刊行。のち結婚して小池姓となる。戦後、日本共産党に入党[2]、小池富美子名義で『ある女子共産党員の手記』(「女の罰」「肝臓の話」「女子共産党員の手記」「墓標」所収、五月書房、1948年11月10日)などを出版した[2]。『煉瓦女工』は、1940年5月の第一公論社版の他に、戦後、1947年の新教育社版、小池富美子名義の新日本文学会版(1948年)が出ている。最晩年には日本民主主義文学会に加入して、いくつかの作品を発表していた。
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評価
宮本百合子が評論「若い婦人の著書二つ」(『新女苑』1940年7月号)で、「煉瓦女工」を、同じく映画化された大迫倫子の『娘時代』と並んで紹介し、豊田正子の綴方との比較が論及されている。宮本は、「好評であることが十分にうなずけるつよい迫力をもった、生々しい筆致」と評価した。戦後、宮本は「『婦人と文学』附録」(筑摩書房、1951年4月)で、1948年の『女子共産党員の手記』について、「つよい生活力が燃えさかっている」と評価した。
著作
出典
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