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金久正弘
日本の電気工学者、電子工学者 ウィキペディアから
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金久 正弘(かねひさ せいこう[1][注 1]、1916年11月3日[5]‐2022年9月12日[6])は、日本の電気工学者、電子工学者。神戸大学名誉教授[6]、鹿児島大学教授[3](元)、福岡工業大学教授(元)、工学博士(学位)[4][6]。
経歴・人物
鹿児島県出身[6][7]。旧制鹿児島県立第二鹿児島中学校(現鹿児島県立甲南高等学校)を経て[8]、1937年に旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)理科を卒業[9]。1941年3月に東京帝国大学工学部電気工学科を卒業し、東京計器製作所(東京計器)入社[6]。1944年2月より海軍技術研究所勤務、終戦により1945年9月嘱託解除[6]。その後住友通信工業(日本電気)に入社し研究所無線研究室勤務[6]。1949年6月住友通信工業を退社し、12月旧制神戸工業専門学校教授着任[6]。学制改革により1950年4月新制神戸大学工学部助教授就任[6]。仲上稔教授とともに情報と通信に関して研究[6]。学生時代の第二外国語はフランス語で[7]、神戸大学助教授時代に『文庫クセジュ テレビジョン』(白水社、1953年)の翻訳・解説を担った[1]。論文「フェージング信号の受信に関する研究」により、1964年3月東京大学から工学博士の学位を授与される[4][5][6]。
1964年9月神戸大学工学部教授に昇任[6]。電気工学科の講座を担当した[6]。教授昇任以降、通信系基礎分野にとどまらず、コンピュータと情報通信がもたらす技術革新の時代に対応して、信号処理、画像処理、さらにはパターン認識と学習などの人工知能の分野も積極的に研究[6]。また、神戸大学評議員、神戸大学工学振興会理事も務めた[6]。1980年3月神戸大学定年退職[6]。1980年4月鹿児島大学工学部教授に就任[3]。1982年3月に鹿児島大学を定年退職した後は、1987年3月まで福岡工業大学教授[6]。
1990年4月勲三等旭日中綬章受章[6]。2017年、神戸大学工学部での教え子らにより、工学部グラウンドに金久の百寿を記念する桜の植樹(10本)と「金久正弘先生百寿記念石碑」の設置がなされた[6][7]。2022年9月12日、老衰のため逝去(享年105歳)[6]。
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著名な親族
脚注
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