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鈴木信教

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鈴木信教
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鈴木 信教(すずき しんきょう、1843年4月23日天保14年3月24日[1] - 1892年明治25年)10月2日)は幕末から明治初期の僧、社会事業家。孤児や貧しい子供たちの養育などで知られ[2]、育てた子供の数は200人とも言われる[3]

概要 鈴木 信教, 生地 ...

人物

1843年天保14年)、出羽国村山郡(後の山形県東村山郡大郷村、現・山形市)生まれ[1]。7歳で出家して陸奥国安達郡大玉村(現・福島県大玉村)の相応寺で修行、13歳からは京都智積院で修行、その後は安達郡岩代町(現・二本松市)の東福寺、次いで息王寺の住職となり、1868年明治元年)からは安積郡郡山町(現・福島県郡山市)の如宝寺の住職となる[4]

当時の郡山地域は戊辰戦争などで荒れ果てており、生まれたばかりの子供を育てられない家庭も多かったため、そうした子どもたちを引き取り、寺にて自費で育てて教育したり[5]、「門前縞」という織物を教えたという[4]。生涯で育てた子供の数は約200人と言われる。

また、盛隆舎(後の郡山市立金透小学校)の設立に協力した上、自ら教鞭をとり、新田開墾に協力するなど、安積開拓にも貢献した[6]。若くして安積疏水の必要性を説き、そのために全財産を投げ打った小林久敬は晩年、信教が世話をしていたと伝えられる[7]

1892年(明治25年)10月2日没。墓は市内の如宝寺にあり、福島県指定史跡に指定されている。

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脚注

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