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銀行の証券子会社
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銀行の証券子会社(ぎんこうのしょうけんこがいしゃ)は、銀行の子会社となっている証券会社(証券子会社)[1]。
銀行は、法律上の銀証分離規定(旧・証券取引法65条[2]、金融商品取引法33条[3])にかかわらず、証券子会社を持つことができる。
銀行法16条の2に「子会社対象会社」が列挙されていて、証券会社(有価証券関連業を行う第一種金融商品取引業者)はそのうち「証券専門会社」に含まれる。
なお、独占禁止法11条の規定により、銀行・保険会社の株式保有に制限が課されているため、証券子会社について、公正取引委員会の認可を受ける。
概説
1992年金融制度改革法(1993年4月施行)により、業態別子会社方式による相互参入が解禁された。銀行法(1981年に全面改正されたもの)はこのとき改正されて、新たに銀行の子会社の範囲に関する規定[4]が置かれ、銀行が証券子会社や信託銀行子会社を持てることが明示された。
なお後年、1997年独占禁止法(同年12月施行)により持株会社が解禁され、これを受けた1997年金融持株会社関連2法(1998年3月施行)[5]により銀行持株会社が解禁されたため、業態別子会社方式に加えて、持株会社方式による相互参入も可能となった。
歴史
要約
視点
(金融制度調査会の答申)
戦後の証券政策は、「証券民主化[6]」と「投資者保護」を二本柱としていた。1948年証券取引法[7]には米グラス・スティーガル法(1933年銀行法)を範とする銀証分離規定が置かれ、銀行などの金融機関が証券業務を営むことが禁止された。金融機関に引受リスクを取らせないための措置であり、安全度の高い公共債について、例外的に認める規定が置かれたが、そもそも社債の発行も戦前と同様、大手行が中心となる引受シンジケートにより発行されるのが通例だったため、銀行業界は強く反対した[8]。
金融制度調査会[9]は1987年12月、金融法制の分業制度[10]に関する報告書「専門金融機関制度のあり方について」を発表した後、さらに審議を続けて、1991年6月に答申「新しい金融制度について」を提出した。これにおいて、金融自由化の仕上げとなる制度改革となる「他業態への参入」を解禁する方法として、下表の5つの選択肢が検討された。
(証券取引審議会)
証券取引審議会の基本問題研究会は、1991年3月に報告書「証券取引に係る基本的制度の在り方について」を取りまとめ、下表のとおり評価・分析した上で、「当面、発行市場を中心に新規参入を図ることが適当である」と結論づけた。
同時に、証券会社としての経営の独立性・健全性が保持できない者や、利益相反等の弊害を有効に防止できない者の新規参入を認めるべきでないとし、
- 証券業務以外の業務を営む者が、本体で広く証券業務を営むことはできない。
- 証券業務以外の業務を営む者が、別法人の形態で資本市場に参入する場合には、資本市場に弊害を持ち込むことのないよう十分な措置を講ずる必要がある、
とも指摘した。1991年夏以降、大手証券会社で証券不祥事が続発したことから、翌1992年4月の報告書「証券市場における適正な競争の促進等」では、その冒頭で「証券行政の在り方」についても批判を浴びたと自省した上で[13]、免許基準の具体化・明確化が行われた。
(新規参入の実際)
証券取引審議会が、1991年6月報告書「証券取引に係る基本的制度の在り方について」にて、「…参入の分野・テンポについては、漸進的段階的に考える必要があり…」とし、衆参の大蔵委員会において「一時期の過度の参入による市場の混乱を回避する」との附帯決議がなされたことから、銀行の証券子会社の新規参入の分野・テンポは制限された。
すなわち、1992年12月「金融制度改革実施の概要について」により、参入当初はその業務範囲から株式ブローカー業務[14]が除かれた[15]。また、参入時期について、「親金融機関の営む業務と証券業務との間における親近性、親金融機関の店舗数等の格差等を勘案し」て、当面の参入対象が長期信用銀行、信託銀行、系統中央機関の証券子会社に絞られた。その際、それ以外の金融機関の証券子会社の参入時期については、「制度改革の趣旨、改革実施後の状況、市場の状況、経営に与える影響等を勘案しつつ、当初参入から概ね1年程度を目途として更に検討していく」とされた。
都市銀行の証券子会社については、1994年3月「都銀等の証券子会社参入について」により、同年7月以降とされ、「秩序立った参入を確保するとの観点から、希望行の予定等をも勘案して、具体的な参入時期については7月、11月及び3月の各月を目途」とする手続きがそれぞれ進められた[16]。
なお、これより前、1992年12月の時点で、業務範囲やファイアーウォール規制(上述)については、「法施行後2年ないし3年を目途に見直しを行う」とされていた。後年、証券取引審議会の1997年6月報告書「証券市場の総合的改革~豊かで多様な21世紀の実現のために」および金融制度調査会の同年同月の報告書「我が国金融システムの改革について~活力ある国民経済への貢献」を踏まえて、同年10月から株式ブローカー業務が解禁された。また、1999年10月に、株券の発行業務および流通業務も解禁された。これらによって銀行の証券子会社に課せられた業務範囲の制限は、全廃された。
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ファイアーウォール規制(弊害防止措置)
要約
視点
当初のファイアーウォール規制
銀行の貸出先に対する影響力が市場機能を損ねることのないようにするため、当初、下表の規制が設けられた[17]。また、1993年4月通達「証券取引法第65条及び50条の2第3号に基づく弊害防止措置の適用に関する事務等について」(1993年蔵証491号)が発出され、違反行為の類型が明確にされた。
1999年4月からの規制緩和
上述したとおり「法施行後2年ないし3年を目途に見直しを行う」とされていた上に、1998年3月に策定され、翌1999年3月に改定された「規制緩和推進3ヵ年計画」でも見直しが示唆されていたが、1998年金融システム改革法の施行時の行為規制命令12条および事務ガイドラインの改正により、下表の見直しが行われる形で規制緩和が先行することとなった。
2000年6月からの規制緩和
銀行と証券子会社の連携強化が進む中、内部管理体制が不十分である事例が頻発したことから、銀行と証券子会社の内部管理業務の統合、つまりリスク管理および法務コンプライアンスを目的とする顧客の非公開情報の授受を、条件付きで[28]容認することとなった[29]。
2002年9月からの規制緩和
2002年8月「証券市場の改革促進プログラム(証券市場の構造改革第2弾)」にて、「誰もが投資しやすい市場の整備」の一環として「銀行等における有価証券の販売」が掲げられ[30]、「①銀行と証券会社の共同店舗、②銀行等による有価証券売買の取次ぎ」が具体策とされた。事務ガイドラインの改正により、うち共同店舗について、共用制限[31]に関する規定が削除され、新たに誤認防止措置[32]に関する規定が追加された。
証券仲介業の解禁(2004年12月から)
2003年5月改正法(2004年4月施行)により証券仲介業が創設されたが、そのスタートを待つことなく、銀行へも証券仲介業を解禁することが検討された。金融審議会第一部会の2003年12月報告書「市場機能を中核とする金融システムに向けて」にてメリット・デメリット[33][34]が論じられ、2004年6月改正法(同年12月施行)により解禁された[35]。あわせて「銀行であるがゆえに必要となる有効な弊害防止措置」が設けられることとなったが、その方向性は「外形基準により一律に導入範囲を制限するよりも、…実情に応じて行政が認可する仕組みが適切である」とされた。
なお、これに先立つ2006年3月、上記報告書を踏まえた事務ガイドラインの改正により、市場誘導業務[36]と資産運用アドバイス業務[37]が銀行の「付随業務」であって、銀証分離規定に抵触することなく行えることが明示された。
2009年6月からの規制緩和(抜本的な見直し)
2005年銀行法(2005年法律106号、2006年4月施行)により、銀行の優越的な地位の濫用の禁止が明文化された[38]。さらに、2007年12月「金融・資本市場競争力強化プラン」を踏まえた2008年6月改正法により、①役職員の兼職制限の撤廃(31条の4関係)、②顧客の非公開情報に係る授受の制限の見直し(内閣府令事項)、が行われた。
2014年4月からの規制緩和
緩和要望を受けて、内閣府令と監督指針が改正された。顧客の非公開情報を授受する場合の規制について、①書面同意要件の緩和、②「内部管理目的」の範囲の見直し、オプトアウトの機会の提供の柔軟化(メールによる同意等を許容)、が行われるとともに、適用例を示した「非公開情報の授受の制限に関するQ&A」が作成、公表された。
最近の議論
2020年9月から金融審議会・市場制度ワーキング・グループが、銀行制のあり方と市場制度のあり方について検討を行った。同年12月の第1次報告「世界に開かれた国際金融センターの実現に向けて」、および2021年6月の第2次報告「コロナ後を見据えた魅力ある資本市場の構築に向けて」にて、現行の規制の下での顧客の非公開情報の共有について、
- 書面による事前同意なしに共有できないため、例えばクロスボーダーM&A仲介を行う場合に、情報授受規制の適用を受けない海外金融機関グループに対し、競争上、不利となっている、
- オプトイン[41]に加えて、オプトアウト[42]が導入されたが、説明すべき事項が多いなど、負担や利便性で比べてオプトインと大差なく、積極的に活用されていない、
などの問題があると認識した上で、総合的なサービスの提供・提案を阻害しているほか、欧米にない禁止規定が過剰な規制であると認識されていると指摘した。ワーキング・グループは、上場会社・大企業むけの投資銀行業務や商業銀行業務について、ファイアーウォール規制を見直すべきと結論づけている。
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証券子会社の例
要約
視点
証券会社が免許制とされた時代(1968年4月から1998年11月まで)に免許を受けた「銀行の証券子会社」と「短資業者の証券子会社」は下表の24社(コスモ証券と勧角証券の2社を数に含まず)。
ちなみに、同じ期間に免許を受けた国内証券会社は次の19社なので(カッコ内は免許年月)、免許制の時代に新規参入して免許を受けた国内証券会社は、合わせて43社だったことになる。なお、当時、外国証券会社の国内支店は、「外国証券業者に関する法律」(1971年法律5号)に基づく免許を受けていた。
- 日本相互証券(1973年8月) 特殊証券会社[44]。証券会社を相手として公社債の売買および売買の媒介業務を行う
- 沖縄証券(1974年2月) 沖縄復帰に伴う現地証券会社への免許付与。2017年7月に社名を「おきぎん証券」に変更
- 大宝証券(1974年2月) 沖縄復帰に伴う現地証券会社への免許付与。2003年1月に沖縄証券への営業譲渡により消滅
- 日本店頭証券(1976年6月) 特殊証券会社。証券会社を相手として店頭登録銘柄および登録扱銘柄の売買の取次ぎならびに媒介を行う。1998年12月に証券業を廃止、社名を「ジャスダック・サービス」に変更
- ディー・ブレイン証券(1997年8月) 2010年11月に社名を「みどり証券」に変更。さらに2013年4月に社名を「日本クラウド証券」に変更
- エンゼル証券(1998年2月) 2013年3月に金融商品取引業を廃止
- アクシーズ・ジャパン証券(1998年2月) 2010年11月に金融商品取引業を廃止
- メリルリンチ日本証券(1998年5月) 2001年3月にメリルリンチ証券会社(外国証券会社)の営業を承継。2020年11月に社名を「BofA証券」に変更
- スパークス証券(1998年6月) 2010年7月にスパークス・アセット・マネジメントと合併
- 日商岩井証券(1998年6月) 2004年3月に社名を「フィデス証券」に変更。2005年4月にイー・トレード証券と合併
- 日本インベスターズ証券(1998年8月) 2009年7月にSBI証券への営業譲渡により消滅
- コアパシフィック山一証券(1998年8月) 2004年1月に社名を「アルバース証券」に変更。さらに2013年12月に社名を「EVOLUTION JAPAN証券」に変更
- アイティーエム証券(1998年8月) 2012年8月に登録取消
- 中泉証券(1998年11月) 2016年12月にあかつき証券と合併
- 未来証券(1998年11月) 2008年8月に社名を「みらい証券」に変更
- トゥエンティー・トゥエンティー証券(1998年11月)。社名を「ウエストウッド証券」に変更。2003年1月に自主廃業
- 日本電子証券(1998年11月) 2006年5月に社名を「フェニックス証券」に変更。2013年1月に金融商品取引業を廃止し、小林洋行と合併
- プリヴェ・チューリッヒ証券(1998年11月) 2002年12月に会社分割によりプリヴェ・チューリッヒ証券分割準備に営業を承継。新会社は2006年11月に証券業を廃止
- 伊藤忠キャピタル証券(1998年11月) 2012年8月に金融商品取引業を廃止
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外部リンク
- 金融審議会 市場制度ワーキング・グループ 第一次報告の概要 - 西村あさひ法律事務所「金融ニューズレター」2020年12月25日号
- 金融審議会 市場制度ワーキング・グループ 第二次報告の概要 - 西村あさひ法律事務所「金融ニューズレター」2021年6月24日号。執筆者の有吉尚哉弁護士はワーキング・グループのメンバーの1人。
脚注
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