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長谷川濬

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長谷川 濬(はせがわ しゅん、1906年7月4日[1] - 1973年12月16日[1])は、日本の詩人作家ロシア文学者

生涯

父・清(後に淑夫に改名)と母・ユキの三男として函館市元町に生まれる[1]1925年函館中学を卒業すると、兄海太郎の勧めもあって4年の間漁船に乗った。1932年、大阪外国語学校露語科を卒業し[1]満州国の新政府資政局自治指導部訓練所(後の大同学院)に入る[1]。大同学院を一期生として卒業し、満州国外交部を経て、満州映画協会に勤務する[1]。1938年、北村謙次朗や仲賢礼らと雑誌『満州浪曼』を発刊する[1]。1941年3月1日、満映の映画人養成所を開業し[1]、同年11月には株式会社満州電影総社を設立する[1]。この頃、ニコライ・バイコフの「偉大なる王」を文藝春秋から翻訳する[1]。終戦時、満州映画協会理事長の甘粕正彦の自殺場面を目撃した。

戦後は通訳などの仕事をしながら、同人誌に創作・詩・エッセイなどを投稿した[1]。晩年は、神彰などともにドン・コサック合唱団を招いた。墓所は八王子市中央霊苑[2]

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家族

関連書籍

脚注

参考文献

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