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関博紀

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関 博紀(せき ひろのり、1967年11月8日[1] - )は、日本のハーモニカプレイヤー、シンガーソングライターフリーアナウンサー。2022年時点では、エレファントプロダクションアジア代表[2]鎌倉市倫理法人会副専任幹事[3]神奈川県横浜市出身[1]

概要 関 博紀, 別名 ...
概要 せき ひろのり関 博紀, プロフィール ...
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来歴

北海道大学法学部卒業後、1990年入社[4]。テレビのリポーターからラジオの音楽番組まで幅広く活躍。2004年から2010年まではHBCラジオ「カーナビラジオ午後一番!」では「カーナビ情報センター」としてニュースを担当[5]。、2012年『英樹・さやかの山ガール山おやじ』では、ディレクターとしても活動[6]1991年-1994年旭川放送局で勤務していた[4]

2013年6月、HBCテレビ社会情報部へ異動し、「今日ドキッ!」のディレクターなどを担当したが[4]、2013年12月一杯で24年間勤めて来たHBCを退社し、2014年春に単身で、ロサンゼルスへ移住。

渡米後は、ハーモニカプレイヤー&シンガー「HIRO SEKI(ヒロ セカイ)」として活動。デイブ・ゲージ(en)に師事するとともに、 LAの大御所ソウルシンガーでジミ・ヘンドリックスの恋人として初期のレコーディングを共に行ったロサ・リー・ブルックスに見初められ[3]マイケル・ジャクソンヴィクトリー・ツアー時代のギタリストで、ロック・ブルースの重鎮、グレッグ・ライトとの仕事をメインに、数々のミュージシャンのパフォーマンスをサポート。

また、前職経験を活かし、アメリカ本土で唯一の地上波日本語放送TJS RADIOのパーソナリティとして朝の情報番組を担当し「セッキー」の愛称を名乗った[7]

一方で、カーナビラジオ午後一番への出演も続けアメリカからの情報を伝える『カーナビ情報センター・アメリカロサンゼルス支局特派員』として活動した[8]

2015年3月26日放送の「カーナビラジオ午後一番!」に、サプライズ出演した[9]

5年半のロサンゼルス滞在の後2019年に帰国し故郷の横浜を拠点とし[10]、一時音楽活動を休止するも2022年4月から活動再開[3]。「エレファントプロダクション」のアジア代表として音楽活動をはじめ英語講師、アナウンス講師の業務も行う。

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人物・エピソード

  • 自他共に認めるブラックミュージック好きで[1]、特にブルースR&Bへの想いは熱い[11]。アナウンサー時代からハーモニカ (ブルースハープ)を常に携行し[12]、神出鬼没で、ジャムセッションにも参加していた。札幌在住時にはオリジナルのインディーズバンド「蛇の穴」を組み[13]、ボーカルとギターを担当。2004年11月8日には、ファーストアルバム『Dear』もリリースした。またYASUのバンド「Y's Rocks」のメンバーとしても活動した[14]。「カーナビラジオ午後一番!」のオリジナルソングCDではシングル「ラジオは魔法の周波数」[15]、ミニアルバム「カーナビオリジナルソングス」にてバックトラックのブルースハープを担当した[16]
  • アナウンサー時代から、毎年「音楽修業」と称してハーモニカを携え、アメリカ南部を旅しており、これがきっかけでアメリカ移住へと気持ちが動いたとされる。
  • 日本では大の埼玉西武ライオンズファンであったが[17]、渡米後は、ロサンゼルス・ドジャースのファンとなった。
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出演番組

HBCラジオ
  • も・ロ・Qな夜〜
  • 深・夜はこれから[18]
  • カーナビラジオ午後一番!」(「カーナビ情報センター」アメリカロサンゼルス支局・特派員[注 1]
  • HBCラジオ「ミュージックアリーナ・シートS」(日曜日〈土曜深夜〉 2:00-2:30, 但し、2012年4月より『関博紀のブルース&ソウルRadio』にタイトルを、日曜8:00-8:30に放送時刻を変更。7月7日より、放送時刻のみ日曜日(土曜深夜)2:00-2:20に変更。詳細はHBC公式プロフィール及び「アナウンサー日記」を参照。また、放送時刻の変更については2012年6月24日の放送にてアナウンス)
  • Scratch Mania〜HBCレコード室探検隊[19]
HBCテレビ
その他

脚注・出典

外部リンク

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