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青木楠男
日本の土木工学者、内務官僚 (1893-1987) ウィキペディアから
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青木 楠男(あおき くすお、1893年(明治26年)7月23日[1][2][3] - 1987年(昭和62年)3月18日[1][2][3])は、大正から昭和時代の土木工学者、内務官僚。
経歴
高知県に生まれる[1][2]。1918年(大正7年)東京帝国大学工科大学土木工学科を卒業し、内務省土木局に入る[2]。1926年(大正15年)内務省土木試験所に転じ、1942年(昭和17年)同試験所長となる[2]。この間、欧米出張を経て1930年(昭和5年)東京帝国大学講師を兼任した[3]。
1946年(昭和21年)官職を辞し、創設間もない早稲田大学理工学部土木工学科教授となり、1954年(昭和29年)理工学部長、1956年(昭和31年)大学院工学研究科委員長を歴任し、1964年(昭和39年)退職した[2]。また、東京工業大学でも講師として教鞭を執った[2]。翌年の1965年(昭和40年)には国士舘大学教授を経て、同年早稲田大学名誉教授となった[3]。この間、1954年(昭和29年)から1年間、土木学会第42代会長を務めた[3]。さらに1966年(昭和41年)日本学士院会員となった他、文化財保護委員会委員、溶接学会、日本道路協会名誉会員[3]、溶接学会会長、本州四国連絡橋技術調査会委員長[1]など要職を歴任した。
鋼鉄製橋梁の研究で知られ、特に溶接鋼橋の開発に先駆的な役割を果たした[2]。ほか、土木材料の研究や材料の試験法の規格化などに尽瘁した[2]。
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栄典
脚注
参考文献
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