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エイドゥ

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エイドゥ満州語ᡝᡳ᠌ᡩᡠ᠋、転写:eidu、漢字:額亦都、1562年1621年)は、後金の建国五大臣の筆頭である[注釈 1]長白山英鋷峪に世居する鈕祜禄(ニオフル)氏(Niohuru hala)出身。父は都陵阿で、満洲鑲黄旗に属していた。康熙朝の重臣・エビルンの父であり、康熙帝の継室孝昭仁皇后の祖父。また、嘉慶帝の継室孝和睿皇后は彼の八世孫(あるいは六世孫)であり、道光帝孝穆成皇后は第六代の後裔とされる。東太后もその後裔とされている[注釈 2]ヌルハチとは親しい友人であった。

家族構成

記録によると、額亦都には5人の妻と17人の息子と12人の娘がいた。

  • 姓名不詳の妻
    • 長男:班席
    • 九男:図爾席(姓名不詳の妻の子)
  • 郡主覚羅氏 - 清太祖ヌルハチの伯父、覚羅武功郡王礼敦巴図魯の娘
    • 次男:達啓
    • 三男:車爾格(子孫は孝貞顕皇后の出身系統)
    • 六男:達隆藹(子孫は孝和睿皇后の出身系統)
    • 七男:冒海
    • 八男:図爾格(父の死後、継母ムクシを収継婚の慣習により娶る。子孫は嘉慶帝の恭順皇貴妃の系統)
    • 十男:益而登
    • 十二男:額森
    • 十三男:超哈而
    • 十四男:格而特
    • 十五男:索歓
  • 佟殷氏
    • 四男:涵岱
    • 五男:阿達海
  • 和碩公主ムクシ - ヌルハチの第四皇女
  • その他
    • 十一男:熬徳(妾の子)

娘たち

娘は12人いたが、下の4人を除いて、他の8人については夫の姓が記録に残っていない。

孝聖憲皇后の曾祖父・額亦騰は従兄弟にあたる。

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伝記資料

脚注

  1. その他の4人は、ホホリフュンドンアンバ・フィヤングフルハン
  2. 杜家驥「清代『玉牒』中の満族史資料及びその価値」『鈕祜禄家譜』を引用し、「策布坦は額亦都の三男・車爾格の後裔」とある
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