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飯田延太郎 (実業家)

日本の実業家 ウィキペディアから

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飯田 延太郎(いいだ のぶたろう、1873年明治6年〉5月2日[1] - 没年不詳)は、日本の実業家

経歴・人物

飯田久助の長男として、福岡県穂波郡、のちの嘉穂郡桂川村(現桂川町)で生まれた[1][2]。1896年福岡県立尋常中学修猷館を経て[3]、1898年中央大学を卒業[1]

1899年弁護士試験に合格し[4]東京地方裁判所所属弁護士を経て[1]、独立開業する[4]

1910年弁護士を廃業して玄洋社に入り、鉱山業に従事。1911年北海道炭山を三井鉱山に、次いで1915年美唄炭山三菱合資に売却して、巨利を得て実業界に進出[5]南満洲太興を設立して代表社員となり、天図軽便鉄路図們鉄道弓張嶺鉄山天宝山銀銅鉱などの事業を経営[6]新登川炭鉱社長、神国生命保険社長、有隣生命保険社長[1]萬朝報社長[4]なども務めた。

脚注

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