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高玉常頼
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高玉 常頼(たかたま つねより)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。二本松氏、蘆名氏の家臣。高玉氏6代当主。陸奥国安達郡高玉城主。
略歴
高玉氏は二本松氏の庶流。
伊達政宗の攻撃を受けて二本松城が開城し、主君・二本松国王丸が会津に移ると、常頼もまた蘆名氏に属して政宗への抗戦を継続した。天正17年(1589年)、政宗の蘆名氏攻めに先立ち、政宗の家臣・片倉景綱に高玉城を攻められ奮戦するも落城、討死した。高玉城陥落後に政宗が撫で斬りを命じたため、4年前の小手森城と同様に城内にいた全員が殺害された[2]。
脚注
出典
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