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高田信頼
戦国時代の武将 ウィキペディアから
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高田 信頼(たかだ のぶより)は、戦国時代の武将。上野国甘楽郡の国衆。高田城(現・群馬県富岡市妙義町下高田)城主。
生涯
武田家臣で高田城主・高田繁頼の嫡男。諱のうち「信」の字は武田氏による偏諱と考えられている[1]。父が元亀4年(1573年)4月に先年の三方ヶ原の戦いで受けた戦傷が元で死去し[2]、翌月に主君・武田勝頼から家督相続を認められた[3]。勝頼は家督相続後に度々三河・遠江方面に出兵したが、信頼もこれに応じて各地を転戦した。その戦功を評されて天正2年(1574年)7月には上野国野辺内永安寺150貫文を宛がわれている[3]。
天正10年(1582年)に武田氏が滅亡すると滝川一益、次いで北条氏直に属した。後北条氏配下時代の具体的な動向は伝わっていない。同16年(1588年)に死去。享年39。法名は正伝[3]。
脚注
参考文献
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