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髙橋仁胡

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

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髙橋 センダゴルタ仁胡(たかはし センダゴルタにこ、2005年8月17日 - )は、スペイン・バルセロナ出身のプロサッカー選手Jリーグセレッソ大阪所属。ポジションはディフェンダー

概要 髙橋 仁胡, 名前 ...

Jリーグでの登録名は髙橋 仁胡(たかはし にこ)。

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来歴

プロ入り前

バルセロナで日本人の母親とアルゼンチン人の父親の間に生まれ、その後もスペインで育った。

元々はフットサルをしていた。チームメイトの家族やコーチ陣から上手さを評価された[1]。その後、FCBペーニャサン・クガFCUEコルネジャと3つのユースクラブでプレーし、RCDエスパニョールジローナFCFCバルセロナからオファーを受けた[2][3]

2019年2月、FCバルセロナと正式に契約を結んだ[4][5]

2022年、英紙『ガーディアン』が選ぶ「世界の次世代サッカー選手60人」のネクスト・ジェネレーション2022に日本国籍を有する選手で唯一選出された。名を連ねたのはマティス・テルヴィトール・ウーゴ・ロッキ・フェレイラバレンティン・カルボーニら。「小柄だが力強く、ポゼッションでは非常に落ち着きがあり、前線への突破も速い」と評された[6]

2023年、FCバルセロナBの監督に評価され、同チームでの背番号も用意された[7]

2024年、怪我の影響でほとんど試合に出ることはなかった[7]。6月25日[8]FCバルセロナ フベニールAからFCバルセロナBへ昇格できず、今月でFCバルセロナを退団すると報じられた。そうしたなか、本人はSNS上にカタルーニャ語と日本語のメッセージを投稿し、FCバルセロナ退団を発表した[9]。アカデミーの他の多くの選手と同様に、トップチーム昇格という狭き門をくぐれなかった[8]

子供の頃からの夢は世界最高のクラブでプレーすることでした。この5年間、私にサッカーの価値観を教えてくれたすべてのスタッフ、テクニカルマネージャー、一緒にプレーした仲間達、そして常に私をサポートしてくれた家族、皆さんの支えがあったからこそ、毎日学び、成長する事が出来ました。感謝の気持ちでいっぱいです。どうもありがとうございました!FCバルセロナで過ごした経験を大切にして、これからもずっと気を引き締めて頑張ります!

セレッソ大阪

2024年7月17日、Jリーグのセレッソ大阪に入団し、プロキャリアを始めた[10]。1年目は公式戦の出場は無かった。

2025年、アーサー・パパス指揮下で出場機会を得た。

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代表

2021年、U-16スペイン代表に選出された。

2022年、U-19日本代表に飛び級選出された。10月28日スペイン遠征に臨むU-18日本代表に選出。

2023年、U-20日本代表に飛び級選出された[11]

2025年、U-20日本代表に選出された。

人物

  • アルゼンチン、スペイン、日本の3つの国籍を有する。カタルーニャ語、スペイン語、英語、日本語を話す[12]。日本語は苦手であり、特に敬語の使用は苦手である[13]
  • 父親は1976年に起きたアルゼンチンの軍事独裁政権によるクーデターの影響で、スペインに移住した[1]。その後スペインの学校で育った[14]。母親は近畿地方出身のため、仁胡自身も影響を受けており関西弁を話す[13]
  • バルサの下部組織で学んだことは多いという。「全てと言ってもいい。サッカー以外でも、夢を叶えるためには自分をしっかり持つことの大切さ。あと、バルサにいるからと言って特別な人間だとは思わず、人に優しくすることも教わりました。バルサのカンテラからトップチームに上がった選手はたくさんいて、コーチとかから、そういう選手たちの昔の話も聞いていました。バルサのユニフォームを着て戦う試合はどれも特別でした。いつ最後の試合になるか分からないから、毎試合が戦いでした。」と話した[7]
    • 「サッカーも人生も、いい時も、そうではない時もある。終わったことを考えても変わらない。「ケガがなかったらバルサBに行けた」と考えても、仕方ない。これからのことを考えている。将来のことは変えていける。これからまた成長すれば、先のことはどうなるか分からない。今はこれからどういう選手になるか、それだけ考えている」と答えている[7]
  • セレッソでチームメイトの香川真司からは「スペインで育っていますから、まずメンタリティが普通の日本の若手と違う」と見ており、「そこを僕はすごく評価している。僕が言うのは変だけど」「キャンプからアグレッシブにやれているので、アンダー20(U-20日本代表)に行ってまうのが、本当に惜しい」と話した。内田篤人が髙橋が敬語を話していたことについて質問すると「最初ね、全部あいづちが『うん』『そうやねん』って感じで。今年になってからは『はい、はい』って言うから、別に俺は『うん』でいいよって。」と話した。また、内田は髙橋の母についても「すごくパワフルな方で、敬語教えてくれば良かった!って。関西の人で。すごい面白いんだよね」と話した[15]
  • 将来の夢はラ・リーガでプレーする事[7]
  • 下部組織時代を共に過ごしたラミン・ヤマルについては「ヤマルはレベルが違うので、比べられない。自分の目指すところを頑張りたい」と自分に矢印を向けた[16][17][18]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...

代表歴

脚注

関連項目

外部リンク

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