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鴻沼川
埼玉県さいたま市を流れる一級河川 ウィキペディアから
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鴻沼川(こうぬまがわ)は、埼玉県さいたま市を流れる一級河川である。荒川水系鴨川の支流である。上流では霧敷川(きりしきがわ)、下流では鴻沼川、また鴻沼排水路(こうぬまはいすいろ)とも呼ばれる。
流路
埼玉県さいたま市中心部のやや西寄りをほぼ南北に貫いて流れる。
源流はさいたま市北区宮原町・日進町にあるさいたま市立つばさ小学校、あるいはJR川越線の線路(大宮駅 - 日進駅間)付近である。源流よりほぼJR埼京線に沿って南へ流れ、中浦和駅で南西に向きを変え、さいたま市桜区新開で鴨川に合流する。
源流よりJR高崎線に沿って北に流れ鴨川にそそぐ逆川とほぼ源流を同じくする。このため、平成18年度(2006年度)に国土交通省によって行われた主要水系調査(荒川水系)に基づく利水現況図や、逆川の源流付近が暗渠となる以前に作成された地形図では、あたかも鴻沼川と逆川とが一本の川であるかのように見えるが、これらは別の川である。
鴻沼川および逆川によって形成された低地によって、大宮台地(北足立台地)の与野支台と浦和大宮支台とが隔てられている。
名称
呼び方は、地域によって異なっている。さいたま市北区では霧敷川、大宮区では霧敷川・切敷川・切引川、中央区では北部で霧敷川、南部に下り、旧鴻沼の下流になると鴻沼川や鴻沼排水路に変わり、南区・桜区では、鴻沼川・鴻沼排水路・高沼排水路などと呼ばれている[2]。
歴史
江戸初期まで与野と浦和西部には鴻沼があり、溜池として利用されていた。享保年間の新田開発の際にこの溜池の水を抜くために作られた排水路が鴻沼川である。鴻沼の両端には見沼代用水から引いた高沼用水路として東西両縁を開削し、鴻沼川は鴻沼跡の中央を流れる悪水路となった。
鴻沼より上流の霧敷川は、干拓以前から鴻沼に流入する河川であったが、西縁用水路と合流し農業用水としても利用されていた。その後、1965年(昭和40年)に鴻沼排水路と接続し、一つの河川となった。今でも下流では鴻沼川、上流では霧敷川と呼ばれている。これにより、西縁用水路は排水路と合流せず対岸に流れるようになった。近年では田園がほとんど消滅したため、1992年(平成4年)には鴻沼排水関係ニケ土地改良区連合を解散し、市の河川課の管轄となった。
治水
今のような整備された鴻沼川になる前は大雨のたびに氾濫を繰り返していた。昭和時代には仮護岸と呼ばれる木材で作られたものを鴻沼川の水路の中央に設置した。いまでも未改修の氷川橋より上流部には残っている。
- 1997年(平成9年):一級河川に指定。
- 1998年(平成10年)9月:台風5号により、鴻沼川流域では3775戸もの浸水被害が発生した。この事態に1998年度(平成10年度)に旧・浦和市・与野市域を「河川激甚災害対策特別緊急事業」に、翌1999年度(平成11年度)から旧・大宮市域を「床上浸水対策特別緊急事業」に指定し、河道の改修、護岸の設置、鴨川への合流点から氷川橋までの河道の拡幅、流れを妨げる鴻沼川中流域の11の橋梁の撤去や改修などの河川改修を緊急的に進めた。浸水被害の深刻であった現大宮区エリアには地下式の桜木調節池が建設されたが、近年も大宮区内では避難判断水位に達することが多く、中央区の与野中央公園の拡張整備地域に地上開放型の調節池を建設する方針となっている。
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支流
橋梁
要約
視点
鴻沼川には様々な橋があるが、おおよそ2種類に分けることができる。
- 鴻沼橋などの旧橋梁 - 鴻沼川に架かる橋はこのタイプがほとんどだった。コンクリート製の欄干だが、改修が進みいくつかの橋が架け替えられた。
- 激甚対策事業で架け替えられた橋 - 上の宮橋・里見橋・中里橋・氷川橋などを除いて、茶色の欄干の橋に架け替えられ、竣工年月・橋名・橋名の読み・河川名が両端に記された。
中流の鴻沼橋、下流のたがい橋、平川戸橋、新開橋は、1885年(明治18年)よりも前に今の原形となる橋が既に架けられていた。
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河川施設
脚注
関連項目
参考文献
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