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鷹司院按察

鎌倉時代の女流歌人 ウィキペディアから

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鷹司院按察(たかつかさいんのあぜち、生没年不詳)は、鎌倉時代の女流歌人後鳥羽院側近として承久の乱により処刑された葉室光親[* 1]の娘。葉室光俊(真観)や定嗣は、異母兄弟[* 2]兵衛督(ひょうえのかみ)とも呼ばれた[1]

経歴

後堀河天皇中宮近衛長子(鷹司院)に出仕、後嵯峨院歌壇等で活躍するが、『続古今和歌集』が完成した1265年(文永2年)時点では既に出家して西山に隠棲していた[2]

逸話

  • 文永年間に成立した『幻中類林』やその抄出本である『光源氏物語本事』に、当時存在が知られていた『源氏物語』写本として、「鷹司院按察局福光殿」の名が挙げられており[3]、鷹司院按察が有力な伝本の所持者あるいは筆写者であったことがわかる。

作品

勅撰集
さらに見る 歌集名, 作者名表記 ...
定数歌歌合
さらに見る 名称, 時期 ...
私家集
  • 家集は伝存しない。

脚注

参考文献

関連項目

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