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1888年アメリカ合衆国大統領選挙
第26回目のアメリカ合衆国大統領選挙 ウィキペディアから
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1888年アメリカ合衆国大統領選挙(1888ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英語: United States presidential election, 1888)は、1888年11月6日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第26回)。
現職の大統領グロバー・クリーブランドが一般選挙では最高票を得たが、共和党の挑戦者ベンジャミン・ハリソンが選挙人選挙では233票を獲得し、168票のクリーブランドを破って大統領に選ばれた。12年前の1876年アメリカ合衆国大統領選挙でも同じことがおこり、大統領に選ばれた者が一般投票では最高票を得られていなかった。このような現象は、112年後、2000年アメリカ合衆国大統領選挙まで無かった[2]。
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候補者の指名
共和党の指名
共和党の指名候補者
- ベンジャミン・ハリソン、インディアナ州選出の元アメリカ合衆国上院議員
- ジョン・シャーマン、オハイオ州選出のアメリカ合衆国上院議員
- ウォルター・グレシャム、元アメリカ合衆国財務長官、インディアナ州出身
- ショーンシー・デピュー、ニューヨーク・セントラル鉄道社長、ニューヨーク州出身
- ラッセル・アルジャー、元ミシガン州知事
- ハリソン
- シャーマン
- グレシャム
- アルジャー

共和党はイリノイ州シカゴで全国党大会を開催し、ハリソンが544の代議員票を獲得し、シャーマン(249票)、アルジャー(142票)、グレシャム(123票)を破って指名された。ニューヨーク州の政治家で財務家のリーヴァイ・モートンが592の代議員票を獲得し、ウィリアム・フェルプス(119票)とウィリアム・ブラッドリー(103票)を破って副大統領候補に指名された。
民主党の指名
民主党の指名候補者
- グロバー・クリーブランド、現職大統領、ニューヨーク州出身
- 現職大統領、グロバー・クリーブランド、ニューヨーク州出身
ミズーリ州セントルイスで開催された民主党の全国大会で、グロバー・クリーブランド大統領が全会一致で大統領候補に再指名された。オハイオ州のアレン・G・サーマンが684票の代議員票を獲得し、大差でアイザック・P・グレイ(101票)とジョン・C・ブラック(36票)を抑え、党の副大統領候補に指名された。
その他の指名
禁酒党公認のクリントン・B・フィスクとジョン・ブルックスは、禁酒運動が功を奏し一般投票で25万票近くを獲得した。他に、統一労働党はアルソン・J・ストリーターを候補者にした。統一労働党は15万票近くを獲得したが、全国的に広がりを持った支持を得られなかった。
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一般選挙
要約
視点
選挙運動
クリーブランドは選挙運動の主眼を、1887年12月に議会に示した年間教書で関税の劇的な削減に据えた。関税は不必要に高く、不必要な税金は不公平な課税だと主張した。共和党は、高い関税が国際競争からアメリカの産業を守り、高い賃金、高い利益および高い成長率を保証すると反論した。関税率を巡る保護貿易主義者と自由貿易主義者の間の議論は古いものであり、1816年関税に遡るものだった。アメリカ合衆国はほとんどの製品(毛織物品を除く)で低コスト生産できており、効率の劣るヨーロッパ生産者が安く売れるはずはなかったので、実質的に工業製品に掛けられる関税は意味の無いものになっていた。それでも関税問題は両陣営にかなりの程度動機付けを与えた。
明白な経済側面以外に、関税問題は民族的な側面も持っていた。当時、自由貿易の原則はイギリス帝国が最も強く推進しており、自由貿易を標榜して出馬する候補者はイギリス寄りと烙印を捺される恐れがあり、それによって流動的なアイルランド系アメリカ人の票を失う可能性があった。クリーブランドはイギリス帝国の一部とまだ見なされていたカナダとの漁業権論争で懲罰的行動を追及することで、この脅威をきちんと消した。
ハリソンは党活動家によって資金の手当てをされ、当時の標準としては精力的な選挙運動を行い、インディアナポリスの自宅玄関で多くの演説を行って、それが新聞に掲載された。クリーブランドは、大統領候補者が選挙運動を行わないという慣習に固執し、その閣僚も選挙運動に加わることを禁止し、75歳になる副大統領候補サーマンに運動の先鋒を担がせた。
ブロックス・オブ・ファイブ
選挙における最も悪名高い不正の1つがこの選挙のインディアナ州で行われた。共和党国民委員会の財務官ウィリアム・ウェイド・ダドリーは、インディアナ州郡部のまとめ役に回状を回し、「選挙人の不正投票者を5つのブロックに分割し、これら5ブロックを預かる信頼置ける者に必要な資金を渡し、誰も逃げないようにして全ての票が我が党に投票されるよう責任を持たせろ」と告げた。
マーチソン・レター
投票日の丁度2週間前、共和党は駐米英国大使ライオネル・サックヴィル=ウェスト卿の信書「マーチソン・レター」なるものを公開、イギリスの見解ではクリーブランドが恐らくは最善の者であると示唆する内容だった。
実はこの手紙は、ジョージ・オズグッドビーというカリフォルニア州在住の共和党員が、元イギリス人で現在はカリフォルニア州に住んでいる「チャールズ・F・マーチソン」という偽名で出した「来るべき大統領選では誰に投票すべきか」という手紙への返事だった。これは、1884年アメリカ合衆国大統領選挙での大ポカ「厄介者でローマカトリック教徒で反逆者」に正に匹敵する効果をアイルランド系アメリカ人有権者に与え、クリーブランドがニューヨーク州を落とす結果になった。また、軽率にも他国の選挙に関わることになってしまったサックヴィル=ウェストも、イギリス大使を解任されている[3]。
結果
クリーブランドは敗れた。一般投票では実際にハリソンに勝った(48.6%対47.8%)が、選挙人投票ではハリソンが233票対168票で上回った。これはクリーブランドの出身州ニューヨーク州で1%差で勝ったことが大きかった。クリーブランドが選挙人票36票を持つニューヨーク州を制しておれば、204票対197票(当選必要数は201票)で選挙人投票でも勝ちを収めていた。クリーブランドは1%に満たない差でコネチカット州、バージニア州およびウエストバージニア州の選挙人票24票を獲得していたことを注視すべきである。
かくしてクリーブランドは一般選挙ではっきり勝って大統領になれなかったわずか4人のうちの1人になった。次のそのようなできごとは2000年の大統領選挙でアル・ゴアがジョージ・W・ブッシュに惜敗したときであった。フランシス・クリーブランドと元大統領がホワイトハウスを去るとき、彼女は4年後に戻ってくるとスタッフに断言し、事実そのようになった。
大統領選の結果 | ||||||
大統領候補者 出身州 | 党 | 得票数 | 得票率 | 選挙人得票数 | 副大統領候補者 出身州 | 選挙人得票数 |
ベンジャミン・ハリソン インディアナ州 | 共和党 | 5,443,892 | 47.8% | 233 | レヴィ・モートン ニューヨーク州 | 233 |
グロバー・クリーブランド ニューヨーク州 | 民主党 | 5,534,488 | 48.6% | 168 | アレン・G・サーマン オハイオ州 | 168 |
クリントン・B・フィスク ニュージャージー州 | 禁酒党 | 249,819 | 2.2% | 0 | ジョン・ブルックス ミズーリ州 | 0 |
アルソン・J・ストリーター イリノイ州 | 統一労働党 | 146,602 | 1.3% | 0 | チャールズ・E・カニンガム アーカンソー州 | 0 |
その他 | - | 8,519 | 0.1% | 0 | - | 0 |
合計 | 11,383,320 | 100% | 401 | - | 401 | |
選出必要数 | 201 | - | 201 | |||
州ごとの結果
データの出典:Walter Dean Burnham, Presidential ballots, 1836–1892 (Johns Hopkins University Press, 1955) pp 247–57.[4]
クリーブランド/サーマンが勝利した州 |
ハリソン/モートンが勝利した州 |
接戦だった州
青字は民主党、赤字は共和党が勝利したことを示す。数字は得票率の差。 得票率差5%未満 (選挙人数189):
- コネチカット州, 0.22%
- ウェストバージニア州, 0.32%
- インディアナ州, 0.44%
- バージニア州, 0.53%
- ニューヨーク州, 1.09%
- オハイオ州, 2.33%
- ニュージャージー州, 2.35%
- ニューハンプシャー州, 2.50%
- カリフォルニア州, 2.82%
- メリーランド州, 2.94%
- イリノイ州, 2.96%
- ノースカロライナ州, 4.59%
- ミシガン州, 4.82%
- ミズーリ州, 4.93%
得票率差5%以上10%未満 (選挙人数93):
- ウィスコンシン州, 6.01%
- テネシー州, 6.49%
- アイオワ州, 7.85%
- ペンシルベニア州, 7.97%
- ケンタッキー州, 8.32%
- マサチューセッツ州, 9.38%
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大衆文化の中で
1968年、マイケル・P・アントワーヌ会社がミュージカル映画『The One and Only, Genuine, Original Family Band』を制作したが、これは1888年の選挙とダコタ準州の統合分割と州昇格(選挙では中心問題)を主題にとりあげていた。
脚注
参考文献
外部リンク
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