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1944年アメリカ合衆国大統領選挙
第40回目のアメリカ合衆国大統領選挙 ウィキペディアから
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1944年アメリカ合衆国大統領選挙(1944ねんアメリカがっしゅうこくだいとうりょうせんきょ、英:United States presidential election, 1944)は、1944年11月7日に行われたアメリカ合衆国大統領選挙(第40回)。アメリカ合衆国の第二次世界大戦参戦時に行われた。

ルーズベルトとトルーマンが勝利した州
デューイとブリッカーが勝利した州
現職大統領で民主党のフランクリン・ルーズベルトは、過去のどの大統領よりも長くその職に在ったが、人気は衰えていなかった。1940年の選挙時とは異なり、ルーズベルトが民主党候補者としてもう1期の選出を求め出馬することにほとんど疑念は無かった。この年の対抗馬は共和党のニューヨーク州知事トマス・E・デューイだった。デューイは精力的に選挙運動を行ったが、世界大戦の最中に、ルーズベルトが4回目の当選を果たすことに疑問を挟む者はほとんどいなかった。
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候補者の指名
要約
視点
民主党の指名
ルーズベルトは人気があり、戦時の現職としてほとんど公然たる反対に遭わなかった。民主党内、特に南部では保守派の数が増えて、ルーズベルトの経済および社会政策に懐疑的な者が増えていたが、敢えてルーズベルトに反対する者はほとんど居らず、容易に再指名された。指名投票の結果は以下の通りだった[2]。
- 大統領フランクリン・ルーズベルト 1086票
- ハリー・F・バード 89票
- ジェイムズ・A・ファーリー 1票
党内保守派はルーズベルトの再指名を止めることができなかったが、大統領の外見が明らかに身体的に衰えており、秘密の健康問題という噂もあったので、多くの代議員や党指導者は現職副大統領ヘンリー・A・ウォレスには強く反対した。ウォレスは保守派の多くの者にとって、大統領を継ぐ可能性がある者としてあまりに左翼的であり、変わり者に過ぎた。多くの党指導者が、ウォレスの指名には反対することと、ミズーリ州選出のアメリカ合衆国上院議員で、上院戦時調査委員会の議長として良く知られるようになった中道派であるハリー・S・トルーマンを新しい副大統領候補として提案することを、ルーズベルトに個人的に伝えた。ルーズベルトは個人的にウォレスを好んでおり、トルーマンについてはほとんど知らなかったので、党の結束を維持するためにトルーマンを新しい候補者として受け入れることに躊躇した。それでも、多くの革新的代議員はウォレスを棄てることを拒み、最初の指名投票ではウォレスに票を投じた。しかし、北部、中西部および南部の大きな州の代議員が2回目の指名投票でトルーマンが指名を得るに十分な票を投じた。ルーズベルトの健康が衰え、翌1945年4月には死ぬことになったので、この副大統領指名を巡る戦いは歴史的な意味が大きくなり、トルーマンは合衆国第33代大統領になった。
副大統領指名投票の結果は以下の通りだった[3]。
ルーズベルト大統領はダグラス・マッカーサー将軍と軍事戦略を協議するために南太平洋に旅し、党大会には出席しなかった。このために、20世紀で大統領候補者が全国党大会を欠席したことでは最後の機会となった。
共和党の指名
共和党の指名候補者
- ジョン・W・ブリッカー、オハイオ州知事
- エヴァレット・ダークセン、イリノイ州選出アメリカ合衆国下院議員
- ハロルド・スタッセン、元ミネソタ州知事
- ロバート・タフト、オハイオ州選出アメリカ合衆国上院議員
- ウェンデル・L・ウィルキー、実業家、1940年の候補者、ニューヨーク州出身
- ライリー・A・ベンダー、実業家、イリノイ州出身
1944年の共和党指名有力候補は、1940年選挙での大統領候補者ウェンデル・L・ウィルキー、党保守派の指導者でオハイオ州のロバート・タフト上院議員、およびニューヨーク州知事のトマス・E・デューイだった。デューイは、多くの悪名高いマフィアの人物、中でもニューヨーク市の組織犯罪ボスとして最も有名なラッキー・ルチアーノを監獄に送り込んだ"ギャングバスター"検事として全国的な名声が上がっていた。しかし、タフトが出馬しないと宣言して多くの者を驚かせた。その代わりにやはり保守派で同郷のオハイオ州知事ジョン・W・ブリッカーに対する支持を表明した。重要なウィスコンシン州予備選挙でデューイはウィルキーとダグラス・マッカーサー将軍を破り、このことでウィルキーは候補者を降りた。シカゴで開催された1944年共和党全国大会では、デューイが容易にブリッカーを最初の投票で破って指名された。続いてデューイはブリッカーを副大統領候補に選んだ。ブリッカーは拍手喝采で指名された。
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一般選挙
要約
視点
秋の選挙運動
共和党はニューディール政策に反対する選挙運動を行い、戦争の終結が視野に入ってきたので、小さな政府と規制の少ない経済を求めた。それでもルーズベルトの人気が続いていることが選挙の大きな主題になった。ルーズベルトは健康が優れないという噂を鎮めるために、10月に活発な選挙遊説を行うことを主張し、市内の通りではオープンカーに乗った。選挙運動の最高点はルーズベルトが労働組合指導者の集会で演説したときのことであり、その演説はラジオで全国に流され、共和党がルーズベルト政権は腐敗し税金の無駄遣いをしていると主張していることを揶揄した。特に、ルーズベルトがアラスカ遊説で置き忘れてきた愛犬のスコティッシュ・テリア、ファラをホワイトハウスに戻すためにアメリカ海軍の駆逐艦を派遣したと共和党が主張していることに対し、そのような噂を「ファラは怒っている」と言って冷やかした。この演説は労働組合指導者達の大きな笑いと拍手に迎えられた。デューイはこれに対抗して、3日後にオクラホマシティで行った辛辣で党派的な演説をラジオで流し、ルーズベルトは大都市の民主党組織とアメリカ共産党を腐敗させるには「なくてはならない」存在だと非難した。またルーズベルト内閣の閣僚を「ごちゃ混ぜクルー」と言った。しかし、選挙期間中に、例えば1944年のパリ解放や10月のフィリピンにおけるレイテ沖海戦など、ヨーロッパと太平洋の戦場でアメリカが成功を重ねたことで、ルーズベルト優位は動かなくなった。
11月7日の投票日、ルーズベルトはデューイに対して余裕のある勝利を得た。ルーズベルトは36の州で432の代議員票を獲得し、一方デューイは12の州で99の選挙人票を得た(当選必要数は266)。一般投票の得票数はルーズベルトが25,612,916票、デューイが22,017,929票だった。デューイは、ルーズベルトと争った過去3人のどの候補者よりも善戦し、ルーズベルトの出身町ニューヨーク州ハイドパークやトルーマンの出身町ミズーリ州インデペンデンスでルーズベルトに勝ったことで個人的な満足を得た。デューイは次の1948年でも共和党の大統領候補として出馬し、再度敗れることになるが、さらに接戦になった。
幾つかの情報源に拠れば、この選挙の興味有る裏話は、デューイがルーズベルトを告発できるいくつかの情報を持っていたということである。真珠湾攻撃の前にアメリカ合衆国情報部門は日本の暗号を解読していたことを発見した。まだ日本との戦争は終わっていなかったので、デューイはその情報を明かさないことにした。
この大統領選挙は主要政党の候補者が2人共にニューヨーク州出身ということでは最後のものになった。他にも次のような記録があった、
- 民主党が南部州を全て制したことでも最後のものとなった。
- 指標となる州であるオハイオ州を抑えた候補者が敗北したのは、1892年のグロバー・クリーブランドの再選の時以来となった。
- いずれかの候補者がある州の90%以上の得票率を上げたことでも最後の選挙になった。
- 1947年のアメリカ合衆国憲法修正第22条の成立により、候補者が4期目に出馬できるものとしては最後で唯一の機会となった。
結果
大統領選の結果 | ||||||
大統領候補者 出身州 | 党 | 得票数 | 得票率 | 選挙人得票数 | 副大統領候補者 出身州 | 選挙人得票数 |
フランクリン・ルーズベルト ニューヨーク州 | 民主党 | 25,612,916 | 53.4% | 432 | ハリー・S・トルーマン ミズーリ州 | 432 |
トマス・E・デューイ ニューヨーク州 | 共和党 | 22,017,929 | 45.9% | 99 | ジョン・W・ブリッカー オハイオ州 | 99 |
指名無し | テキサス・レギュラーズ | 135,439 | 0.3% | 0 | 指名無し | 0 |
ノーマン・トーマス ニューヨーク州 | アメリカ社会党 | 79,017 | 0.2% | 0 | ダーリントン・フープス ペンシルベニア州 | 0 |
クロード・ワトソン カリフォルニア州 | 禁酒党 | 74,758 | 0.2% | 0 | アンドリュー・ジョンソン ケンタッキー州 | 0 |
その他 | - | 57,004 | 0.1% | 0 | - | 0 |
合計 | 47,977,063 | 100% | 531 | - | 531 | |
選出必要数 | 266 | - | 266 | |||
州ごとの結果
ルーズベルト/トルーマンが勝利した州 |
デューイ/ブリッカーが勝利した州 |
接戦だった州
青字は民主党、赤字は共和党が勝利したことを示す。数字は得票率の差。
得票率差1%未満 (選挙人数25):
- オハイオ州, 0.37%
得票率差5%未満 (選挙人数165):
- ミシガン州, 1.02%
- ニュージャージー州, 1.35%
- ウィスコンシン州, 1.80%
- ワイオミング州, 2.47%
- ペンシルベニア州, 2.78%
- ミズーリ州, 2.94%
- イリノイ州, 3.47%
- アイダホ州, 3.49%
- メリーランド州, 3.70%
- ニューハンプシャー州, 4.24%
- アイオワ州, 4.50%
- オレゴン州, 4.85%
- メイン州, 4.99%
得票率差5%以上10%未満 (選挙人数138):
- ニューヨーク州, 5.01%
- コネチカット州, 5.36%
- ミネソタ州, 5.55%
- インディアナ州, 5.65%
- マサチューセッツ州, 5.81%
- コロラド州, 6.81%
- ニューメキシコ州, 7.03%
- ノースダコタ州, 8.35%
- デラウェア州, 9.11%
- ケンタッキー州, 9.23%
- ネバダ州, 9.24%
- モンタナ州, 9.35%
- ウェストバージニア州, 9.78%
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脚注
参考文献
外部リンク
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