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1984年ロサンゼルスオリンピックの体操競技

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1984年ロサンゼルスオリンピックの体操競技(1984ねんロサンゼルスオリンピックのたいそうきょうぎ)は、1984年7月29日から8月11日の日程で行われたオリンピックの体操である。体操体操競技新体操が実施された。西側諸国の1980年モスクワオリンピックボイコットに対する報復として、ソビエト連邦を中心とした東側諸国は出場していない。

概要

体操競技の男子は団体総合・個人総合・種目別6種目の計8種目、女子は団体総合・個人総合・種目別4種目の計6種目が実施され、新たに新体操の個人総合が新種目となり、合計15種目が実施された。

観衆から10点満点を要求する歓声(テン・コール)が上がるなど盛り上がった影響もあり、10点満点をはじめ高得点が続出した。しかし、異なる難度でも着地が成功すればともに10点満点が与えられる等、着地のみを重視した傾向は日本国内外で批判された[1]。このため翌1985年より、新たにD難度が設けられたり採点基準が厳しくなった。一方、華やかでアクロバット的な演技への評価が高まり、体操競技は新たな局面へ向かうようになった。

体操競技の個人総合は、持ち点(団体総合での獲得得点の半分)で5位の具志堅幸司が、第3種目の跳馬で10点満点[2]を出し3位に浮上。続く鉄棒で首位になると、そのまま逃げ切り逆転優勝を果たした。種目別では、鉄棒にて森末慎二が団体規定・団体自由・種目別すべてで10点満点を出し、体操史上2人目・男子初[3]の完全優勝を果たした。

ベラ・カロリールーマニアから米国へ亡命し同国のコーチに就任しており、カロリーの弟子同士の対決としても注目された。

団体総合は、ルーマニアが初優勝を果たした。

個人総合はエカテリーナ・サボー(ルーマニア)と地元のメアリー・ルー・レットン(米国)が接戦を繰り広げた。最終種目の跳馬では観衆からレットン・コールが巻き起こりレットンは10点満点を獲得。サボーを逆転してレットンが優勝した。"ゴムまり娘"と渾名されたレットンの活躍は、女子体操界に新たな一石を投じた。

今大会から新たに採用された新体操女子総合では、空調の風で帯状布(リボン)演技にミスが相次いだ。初代女王は東洋系カナダ人[4]ローリ・ファンだった。

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競技結果

体操競技

男子

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女子

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新体操

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国・地域別のメダル獲得数

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脚注

出典

外部リンク

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