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日本の脚本家 (1961-) ウィキペディアから
三谷 幸喜(みたに こうき、1961年〈昭和36年〉7月8日 - )は、日本の劇作家、脚本家、演出家、映画監督、俳優。
三谷 幸喜 | |
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プロフィール | |
誕生日 | 1961年7月8日(63歳) |
出身地 | 日本・東京都世田谷区 |
主な作品 | |
テレビドラマ |
『振り返れば奴がいる』 『古畑任三郎』 『王様のレストラン』 『総理と呼ばないで』 『今夜、宇宙の片隅で』 『合い言葉は勇気』 『HR(エイチアール)』 『新選組!』 『真田丸』 『誰かが、見ている』 『鎌倉殿の13人』 |
映画 |
『12人の優しい日本人』 『ラヂオの時間』 『みんなのいえ』 『笑の大学』 『THE 有頂天ホテル』 『ザ・マジックアワー』 『ステキな金縛り』 『清須会議』 『記憶にございません!』 |
舞台 |
『12人の優しい日本人』 『笑の大学』 『オケピ!』 |
受賞 | |
日本アカデミー賞 最優秀脚本賞 1998年『ラヂオの時間』 第45回岸田國士戯曲賞 2000年『オケピ!』 紫綬褒章 2017年 第70回菊池寛賞 2022年 第74回NHK放送文化賞 2023年 第41回向田邦子賞 2023年『鎌倉殿の13人』 |
劇団「東京サンシャインボーイズ」主宰。シス・カンパニー所属。身長174cm。
東京都世田谷区出身。父が好きだった大相撲力士・大鵬幸喜(当時は大関、後に横綱に昇進)にちなんで「幸喜」(こうき)と命名。両親は九州出身で、父は福岡市の中洲でクラブを数店舗経営していた実業家であった。
小学生の頃、「ビバ!チャップリン」シリーズからチャールズ・チャップリンのファンになった。
世田谷区立給田小学校、世田谷区立烏山中学校、世田谷学園高等学校を経て日本大学藝術学部演劇学科卒業。
少年時代には、「とんねるず」の木梨憲武と同じサッカークラブに所属していた。当時、木梨は2軍に所属、三谷は11軍に所属していたが最終的には13軍に降格した。
大学在学中の1983年、劇団「東京サンシャインボーイズ」を結成。初期には「一橋壮太朗」の芸名で自ら役者も務めていた。この時期には、テレビ朝日の深夜番組『ウソップランド』で視聴者からの映像作品を募集する「チャレンジビデオコーナー」へ自ら制作した作品を投稿し、それが採用されて放送されたこともあった。また、渡辺プロダクションが立ち上げた若手お笑いタレントグループ「BIG THURSDAY」(ビッグサースデー)第1期生に作家部門で合格し参加もしていた[1]。
演劇学科の3年後輩の太田光は「三谷さんは学生の頃から、すごい人気者だった。日大のヒーローだった。自分は教授とケンカしたりして演劇を諦めたから、今でも三谷さんにはコンプレックスがある」と、2006年に自らの番組『スタ☆メン』に三谷がゲストで出演した際に語ったが、三谷は後に著書で番組内の発言に対し「番組内では黙っていたが、太田の認識ほどの人気はとてもじゃないが無かった」と書いている。
劇団と並行して放送作家としても活動し、『アイ・アイゲーム』『欽ドン!』『お笑いマンガ道場』などの番組構成に携わる。この頃、プロデューサーの交代劇でライター不足となったテレビアニメ『サザエさん』にて、新たに担当となったフジテレビの久保田榮一に乞われ、若手ライターの一人として参加した。「ワカメの大変身」(1985年4月7日放送)、「波平つり指南」(同年8月4日放送)、「妹思い、兄思い」(同年8月11日放送)、「タラちゃん成長期」(同年8月18日放送)の4作の脚本を手がけたが、「タラちゃん成長期」のタラちゃんが筋肉増強剤を使ってオリンピックに出る夢をみるというストーリーが、プロデューサーの逆鱗に触れて降板させられたというエピソードがある[2][3][4]。
1989年から、フジテレビのコメディドラマ『やっぱり猫が好き』の脚本を多くの回で担当し[5]、翌年の同枠の『子供、ほしいね』[注 1]のほとんどの回を担当したことからテレビドラマの世界でも注目を集めるようになる。
1993年に『振り返れば奴がいる』にて、連続ドラマを初担当。しかし、プロデューサーの石原隆は三谷が喜劇専門だったことを知らなかったため、依頼された内容はシリアスな医療ものだった。結果、脚本の喜劇調の部分は制作スタッフに書き換えられ、三谷の意図からは外れた作品になってしまった。
しかし、その成功により、翌1994年には田村正和主演の倒叙ミステリードラマ『古畑任三郎』の脚本を手がけることになる。同作は好評を得て、無能な刑事の今泉慎太郎を演じた東京サンシャインボーイズの劇団員、西村雅彦も一躍有名になった。その後も『王様のレストラン』『竜馬におまかせ!』『総理と呼ばないで』『今夜、宇宙の片隅で』などの連続ドラマを手がけた。
並行して東京サンシャインボーイズの人気も高まり、「チケットが取れない劇団」と呼ばれるようになる。1991年には代表作『12人の優しい日本人』が中原俊監督によって映画化され、高い評価を得た。劇団からは相島一之と梶原善が舞台と同役で出演している。しかし、三谷が劇団として活動していくことに行き詰まりを感じたため、1994年に『東京サンシャインボーイズの「罠」』の倉敷市芸文館での公演を最後に、劇団は「30年間の充電期間」に入った。
1993年には、パルコによるプロデュース公演に参加し、伊原剛志と松下由樹による二人芝居『ダア!ダア!ダア!』の作、演出を手がけた。翌年には三谷の発案により唐沢寿明を起用したサスペンス・スリラー『出口なし!』を作、演出し、その後も現在に至るまで、パルコのプロデュースから多くのヒット作を生み出している。
パルコのプロデュース公演では、歌舞伎俳優の松本幸四郎一家による演劇集団「シアターナインス」の企画による『バイ・マイセルフ』『マトリョーシカ』の二作の脚本も担当した。幸四郎は、1995年のテレビドラマ『王様のレストラン』の主演でもあり、三谷にとっては大河ドラマ『黄金の日日』や舞台『ラ・マンチャの男』などで昔から強い印象を残している俳優だった[注 2]。
1994年にNHK-FMにラジオドラマ『笑の大学』を書き下ろし、1996年には二人芝居として舞台化する。舞台版は読売演劇大賞の最優秀賞を受賞するなど高い評価を得て、その後も1998年に再演されたほか、ロシア語、英語などに翻訳されて海外でも上演され、2004年には映画化された。
1995年、『やっぱり猫が好き』に出演していた女優の小林聡美と結婚。
1997年、『ラヂオの時間』にて映画監督デビューを果たす。『振り返れば奴がいる』の脚本がしばしば現場で書き換えられてしまった経験を元にした舞台『ラヂオの時間』を映画化した作品で、高い評価と多くの映画賞を獲得した。
2000年に上演した初のオリジナル・ミュージカル『オケピ!』で、岸田國士戯曲賞を受賞した。2001年には自宅を新築した際の体験を元にした、監督第2作となる映画『みんなのいえ』がヒットし、前作『ラヂオの時間』と同様にイギリスやドイツなどでも上映会が催された。また、舞台『You Are The Top 〜今宵の君〜』の主演の鹿賀丈史が初日直前に急病で降板するというトラブルも起こるが、急遽、代役として参加した浅野和之の努力により、初日を5日延期して開幕させることができた。同年、念願のシットコム『HR(エイチアール)』で、脚本と共に総合演出も手がけた。これを最後に、民放の連続ドラマからは遠ざかることとなる。
2004年に、長年の夢だったNHK大河ドラマ『新選組!』の脚本を担当。2006年には大河ドラマ史上初の続編となる『新選組!! 土方歳三 最期の一日』が正月スペシャルとして放送されたが、この年の正月はフジテレビで『古畑任三郎 ファイナル』も三夜連続で編成されており、その初回『今、甦る死』と『新選組!!』は1月3日に重なって放送されることになった。結果、視聴率は『古畑任三郎』の21.5%に対し『新選組!!』は9.8%と振るわず、フジテレビ側は「調整が間に合わなかった」と謝罪している。
2004年、初の一人芝居『なにわバタフライ』を戸田恵子の出演で上演する。2005年4月からは清水ミチコとの対談形式のラジオ番組『MAKING SENSE』の放送がJ-WAVEで始まる。同年11月から2006年1月にかけては、パルコのプロデュース公演として『12人の優しい日本人』が久々に上演された。この作品が東京サンシャインボーイズ以外の出演者で上演されるのは初めてのことだった。この舞台に出演した山寺宏一が大阪での公演中、山寺が当時司会を担当していた番組『おはスタ』を休まざるを得なかったため、1月10日から12日の間、三谷がその代役として「コーキー」の名で司会を務めた。
2006年1月には監督第3作となる映画『THE 有頂天ホテル』が公開され、興行収入60億円の大ヒットを記録した。同年の大河ドラマ『功名が辻』では、脚本の大石静に請われ、織田信長に翻弄される室町幕府の将軍「足利義昭」役で出演した。3月にはパルコ劇場で上演された『決闘!高田馬場』で、初めて歌舞伎の作・演出に挑戦する。
2007年、芸術座の後継劇場となる「シアタークリエ」のこけら落し公演『恐れを知らぬ川上音二郎一座』の作・演出を担当した。
2008年には4作目の監督作品となる映画『ザ・マジックアワー』が公開され、大きなヒットとなった。同作の宣伝のため、6月2日放送の『おはスタ』に再び「コーキー」としてゲスト出演。
2009年には、かつて幾度も公演を行った東京・新宿の小劇場「THEATER/TOPS」の閉館公演として、東京サンシャインボーイズが15年ぶりに再結成し、『returns』を上演した。相島一之の呼びかけに応じて三谷が新作を書き下ろし、短い準備期間ながら元劇団員のほとんどが参加し、三谷も「一橋壮太朗」として出演した。終演後には戸田恵子の声で「これより15年間の休憩に入ります」とアナウンスが流された。
同年、『新選組!』以来、5年ぶりになるテレビシリーズ『連続人形活劇 新・三銃士』で、初めてNHKの連続人形劇の脚本を手がけた。11月には、米国ニューヨークのオフ・ブロードウェイでミュージカル『TALK LIKE SINGING』で世界への進出を果たす。日本のオリジナル作品がオフ・ブロードウェイで初演されるのは初めてのことだった。
50歳を迎える2011年は「三谷幸喜大感謝祭」と題して、新作劇を4作と、映画、テレビドラマをそれぞれ1作ずつ発表し、例年にもまして活発な年となった。同年5月23日、小林と離婚したことを連名のファックスで報告した[6]。同年12月20日、第46回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞。
2012年はチェーホフの『桜の園』での初めての自作以外の演出、初の文楽作品『其礼成心中』の作、演出と新しい挑戦が続いた。6月には「三谷幸喜大感謝祭」で発表予定だった小説『清須会議』を上梓し、翌年に自らの監督作品として映画化することを発表した。
2013年には、『コンフィダント・絆』『国民の映画』に続く海外芸術家シリーズの3作目として、ウラディミール・ホロヴィッツとそのピアノ調律師のフランツ・モアを描いた舞台『ホロヴィッツとの対話』を作・演出した。同作はモア役を演じる渡辺謙の12年ぶりの舞台復帰作としても注目された。
続いて上演された、流刑後のナポレオン・ボナパルトを描いた新作舞台『おのれナポレオン』は、劇作家・演出家・俳優の野田秀樹を主演に迎えた。これは、東京芸術劇場の芸術監督で『新選組!』に勝海舟役で出演した野田から持ち込まれた企画である。公演期間の終盤に天海祐希が心筋梗塞で倒れ、宮沢りえが急遽代役に迎えられるというハプニングが生じ、立ち見席を求めてマスコミ関係者ら100人あまりが殺到したことでも話題となった。
同年7月31日、19歳年下である元女優のyumaと再婚。同年11月には6本目の監督作品となる映画『清須会議』が公開された。
2014年1月1日付で、芸能事務所シス・カンパニーに所属した[7]。
2015年、アガサ・クリスティのエルキュール・ポアロ作品の翻案である『オリエント急行殺人事件』の脚本を担当。舞台を日本に置き換える以外は原作を忠実に再現しており、原作のポアロにあたる勝呂武尊を野村萬斎が演じた。これは後にシリーズ化され、2018年には『黒井戸殺し』、2021年には『死との約束』が放送された。
監督第7作『ギャラクシー街道』は批評的に失敗したが、翌2016年には『新選組!』以来となる大河ドラマ『真田丸』が放送[8]。大河ドラマとしては5年ぶりの高視聴率となり「大河復権」[9]と呼ばれたほどの好評を得た。
2018年にはNHK正月時代劇としてみなもと太郎の『風雲児たち』をドラマ化した『風雲児たち〜蘭学革命(れぼりゅうし)篇〜』が放送。2019年には同じく『風雲児たち』を原作とした新作歌舞伎『月光露針路日本 風雲児たち』を制作。三谷作品としては初めて歌舞伎座で初演された。2018年3月19日、作・演出を手掛けていた『江戸は燃えているか』に出演していた松岡茉優が昼公演終了後に体調不良でダウンし、夜公演で急遽、三谷が松岡の代役を務めた[10](松岡は翌日より復帰[11])。2019年には8作目の映画『記憶にございません!』が公開。
2020年1月には、2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の脚本担当が正式決定し[12]、同年11月16日から20日までの5日間にわたって自らキャストを発表した[13]。また三谷としては初となる本格的な配信限定ドラマとしてAmazonプライム・ビデオのオリジナル作品『誰かが、見ている』が発表。『HR』を彷彿とさせるシットコム形式のドラマとなっており、三谷が演出も担当している。
2021年10月28日付の『朝日新聞』夕刊連載「三谷幸喜のありふれた生活」で、2016年の年頭に前立腺がんの手術を受けていたことを明かした[14]。同月、主治医の頴川晋と前立腺がんについて対談した本『ボクもたまにはがんになる』を刊行した[14]。単行本にした理由は、『鎌倉殿の13人』以外の仕事を絞ることに伴う収入確保のほか、早期発見すれば前立腺がんは怖くないと広く伝えるためで、その後も年2回の定期検査を受けている[15]。
2022年4月2日からは、TBSテレビ系列の報道番組『情報7daysニュースキャスター』にビートたけしの後任としてレギュラー出演[16]。三谷によれば、番組MCの安住紳一郎から「自分と同じ匂いを感じる」と推薦されたという[17]。
2022年11月から上演された『ショウ・マスト・ゴー・オン』では、出演者の小林隆、シルビア・グラブ、浅野和之、主演の鈴木京香が相次いで休演したことから彼らの代演を務めた。公演中に4役を演じることとなり、この作品では作・演出だけでなく初主演を果たすこととなった[18]。
2023年4月、『鎌倉殿の13人』で第41回向田邦子賞を受賞[19]。大河ドラマの脚本が受賞対象になったのは初めて[19]。
※ウェブ限定ドラマを含む。
作品間には三谷の遊び心とも取れるリンクが張り巡らされており、そこから別の作品のその後がわかる場合もある。
「赤い洗面器を頭の上に乗せた男」の小咄。これまでに複数の作品で登場人物によってこの話が語られているが、最後のオチを口にしようとした途端、必ず何かしら邪魔が入って話が途切れてしまい、結末は謎のままである。詳細については「赤い洗面器の男」を参照。
同じ演出家や脚本家の作品で出演者が共通するのは珍しくないが、三谷作品の場合、違うキャラクターを演じていても、セリフなどに他作品での役と繋げたセルフパロディを込めることがある。以下、そういったセルフパロディがあるもののみ記載する。役名も同じ場合は、上記の登場人物のリンクを参照。
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