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高校演劇

高等学校における演劇のこと ウィキペディアから

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高校演劇(こうこうえんげき)は、日本高校生が行う演劇活動の総称。現代演劇の1ジャンルである学生演劇のうちの1つ。主に部活動として高校演劇部が校内外で行う演劇活動と、コンクールに向けて上演する作品のことを指し高校演劇と呼ぶ。全国大会は全国高等学校演劇大会として毎年夏に開催される。

概説

日本の高等学校では、小学校や中学校と同じく、文化祭などの学校行事の中で演劇が取り入れられることが多い。例を挙げると、都内では国立くにたち高等学校「国高祭」、青山高等学校「外苑祭」、日比谷高等学校「星陵祭」、東京学芸大学附属高等学校「辛夷祭」などに代表される、文化祭の目玉として演劇がある学校もある[1]。中でも特に国立高校の文化祭演劇は有名で「日本一の文化祭」とも呼ばれている[2]。また近年は追手門学院高等学校に代表される演劇科を持つ学校や、福島県立いわき総合高等学校に代表されるような選択教科として「演劇」を扱う学校も増えており、中でも福島県立いわき総合高校と飴屋法水により制作された「ブルーシート」は2014年、第58回岸田國士戯曲賞を受賞するなど著しい成果を上げている[3][4][5][6][7][8]。一方で部活動としての演劇活動は「演劇部」として校内外で演劇公演を行い、全国高等学校演劇協議会に加盟し、同協議会が主催する全国高等学校演劇大会(コンクール)において作品を上演する。全国高等学校演劇協議会に加盟している高校の数は約2000校である(2025年度現在)[9]。近年では、全国高等学校演劇大会で最優秀賞を受賞した兵庫県立東播磨高等学校アルプススタンドのはしの方』が映画化し、低予算映画ながらヒットしたことでも話題になった。

以下では、主に部活動としての高校演劇について述べる。

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歴史

大正期、坪内逍遙らにより、教育における演劇の導入が提唱された[10]。これは特に児童期(特に小学校)における学校劇の導入に一定の指針を示すものであったが、高校における演劇活動についても、その基礎が逍遙らにより同時期に形成された。

その後、第二次世界大戦期に演劇活動は全般的に規制されたが、終戦後は高校演劇も再興した。福島県東京都福井県では、1947年より都道府県単位での高校演劇大会が行われている[11]。また、同年には北海道札幌において、現在の札幌南高校の前身である札幌一中を中心とし、初の合同発表会が行われている[12]。現在のブロック大会にあたる大会(全国大会の下部大会)についても、中部日本ブロックが1948年から、北海道ブロックが1951年より行われており、その歴史は古い[11]1955年からは全国大会(全国高等学校演劇大会)が開催されている。

高校演劇の特徴

要約
視点

総括的な特徴

演じる内容について、高校演劇と「大人の演劇」を区別する基準はない。異なる部分は、演者が高校生であるか大人であるかだけである。しかしながら、高校生活は3年間しかなく、大会を勝ち上がることに目標が置かれることもあり、商業演劇小劇場演劇と異なる「特殊性」を持つことがある。劇作家演出家である平田オリザは、高校演劇について「(大会で)負けたら終わり」であることが一番の特殊性であると述べている[13]。1つの作品を何度も上演できる商業演劇・小劇場演劇に対してと、大会で「敗退」してしまえば1年に1度きりの上演となってしまう高校演劇の作品へ対しての、それぞれの作り手がかける思いの違いがあることがうかがえる。

また、高校演劇出身者である中屋敷法仁は、高校演劇を「絶対に二度とできない」と表現し、そこに存在するアマチュアリズムと、高校生だけが持ち、大人が得ることができない思想・肉体を通した表現が一番の特徴であると述べている[14]。他にロロの三浦直之は「(演劇部員は)大学で演劇サークルに入るかもしれないけど、その後も(演劇を)続けていこうと考えている子はそんなに多くない」と述べて、その独自性を指摘している[15]

一方で高校演劇に対する風当たりもある。特に「高校演劇は稚拙である」というイメージである。劇作家・演出家・俳優であり高校教員でもある畑澤聖悟は「『高校演劇みたいな芝居だ』というような言い方をする人がいるように、高校演劇というものが不遇に扱われてしまっている」と述べている[16]。また自身が「高校演劇差別」と呼ぶような、大人・一般人からの偏見があることも述べている[17]。畑澤は、本来演劇作品は作り手の違いで作品内容が評価されるべきではないのにかかわらず、高校演劇が貶められていることに対し懸念を示している。実際に演劇人の中で高校演劇出身者を「マルコー(高の字を○で囲む表記)」と呼び見下す文化は古くから存在している[18]。事実、高校演劇出身者の横内謙介は「プロになりたければ、高校演劇出身であることは隠せと言われた」と語っている[19][20]

戯曲の特徴

高校演劇大会の規則[21] では、上演時間が60分までとされていることから、戯曲は総じて60分未満で上演できるよう書かれる。

作品内容に関する規則はなく、高校生が等身大の自分を描いた「青春もの」でも、戦争震災をテーマにしたものなど何でもよい。たとえば前述の畑澤が青森中央高校のために書き下ろした『修学旅行』[22] は、修学旅行のために沖縄に訪れた高校生の青春模様を描く一方で、そこに戦争のモチーフを重ね合わせていると解釈できる作品である。

一方でプロの戯曲と比べ、台詞が、状況や心情をあまりに直接的に語るような「説明的」なものであるとされ[23]、これが「高校演劇的である」とされる一端でもあるだろう。

高校演劇のために書き下ろした戯曲が書籍化されることも多く、晩成書房 によって『高校演劇セレクション』という戯曲集が、同人誌ではあるが戯曲集『季刊高校演劇』が1年に5巻定期販売されている。また、日本演劇教育連盟編集の『演劇と教育』も戯曲を手に入れる手段のひとつとなる。

大会の特徴

概要 映像外部リンク ...

演劇部の多くは全国高等学校演劇大会(全国大会)の下部大会に出場し、全国大会を目指していく。まず、全国大会を目指す高校は、都道府県を数地区に分割して行われる地区大会(おおむね7月から10月に開催)に参加することになる。ここで優秀な上演をおさめ、上位大会推薦校となると、都道府県大会(おおむね8月から11月に開催)に駒を進められる。

都道府県大会においても、同様に推薦校が選出され、全国を9つに分けたブロック大会(11月から1月に開催)への出場権を獲得することが出来る。

なお、都道府県によっては参加校数が少ないため、地区大会がなくそのまま県大会出場となる県がある(滋賀県や徳島県など)。また、北海道は地域が広大なため、10の支部に分けられており、道大会がブロック大会と同一の扱いとなっている。逆に横浜市は参加校が多いため、地区大会への推薦をかけた市内を数ブロックに分けた市大会を開催している。

各ブロック大会における全国大会推薦校計10校に加え、全国大会開催県から1校、持ち回り枠1校を合わせた計12校が全国大会へ出場する。 なお、全国大会は次年度の7月下旬から8月上旬にかけて開催されるため、ブロック大会に出場した3年生は、必然的に全国大会には出場できないことになる。

全国大会では最優秀賞1校・優秀賞3校・内木文英賞1校・創作脚本賞1本・舞台美術賞1作品が与えられ、最優秀校・優秀校の4校は新国立劇場で行われる優秀校公演に出演することになる。そして、これが最後のコンクール関係の上演となる。なお、最優秀賞の作品は毎年9〜10月にNHK『青春舞台』においてテレビ放送される。


上記とは別に、春季全国高校演劇研究発表大会(通称・春フェス)が3月中旬に開催されている。特徴としては審査が行われず、生徒同士の観劇を通して演劇の研究をすることにある。そのため、サブタイトルとして、フェスティバル20XXと称する。各ブロック大会の次点校が推薦され、開催県枠を含めた計10校が出場する。2005年度に試行大会が開催され、2006年度第1回大会より継続して開催されている。年度内のため、3年生も含めたオリジナルスタッフでの最後の舞台となる。

また、大会がない時期は、自主公演を行ったり市民劇団への参加、または合同の発表会や講習会への参加など、さまざまな形での活動を行っている。

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著名な出身者

要約
視点

全国大会出場経験者

その他

※生年月日順

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高校演劇を扱った作品

高校演劇戯曲が原作の作品

関連項目

脚注

外部リンク

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