アルテミオ・リカルテ
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アルテミオ・リカルテ(Artemio Ricarte、1866年10月20日 - 1945年7月31日)は、フィリピン革命期と米比戦争期のフィリピンの将軍である。フィリピン革命陸軍(1897年3月22日 - 1899年1月22日)の初代参謀総長で、「フィリピン陸軍の父」と称された。リカルテは生涯、米国政府に対して忠誠の誓いをまったく行わなかったことでも知られる。
概要 アルテミオ・リカルテ, フィリピン革命陸軍総司令官 ...
アルテミオ・リカルテ | |
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Artemio Ricarte | |
「植民義塾」の玄関前に立つリカルテ。1944年1月に一時来日した際に撮影されたものと思われる。 | |
フィリピン革命陸軍総司令官 | |
任期 1897年3月22日 (1897-03-22) – 1899年1月22日 (1899-1-22) | |
大統領 | エミリオ・アギナルド |
前任者 | 初代 |
後任者 | アントニオ・ルナ |
個人情報 | |
生誕 | (1866-10-20) 1866年10月20日 スペイン帝国・フィリピン総督領 北イロコス州バタック(英語版) |
死没 | (1945-07-31) 1945年7月31日(78歳没) フィリピン イフガオ州フンドゥアン(英語版) |
死因 | 赤痢 |
異名 |
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兵役経験 | |
所属組織 | フィリピン革命陸軍 |
軍歴 | 1896年 - 1900年 |
最終階級 | 中将 |
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