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アンソニー・ムーア(Anthony Moore、別名アンソニー・モア[nb 1]、1948年8月13日 - )は、イギリスの実験音楽の作曲家、演奏家、音楽プロデューサー。スラップ・ハッピーの創設メンバーを務め、ヘンリー・カウと協力した後、『フライング・ダズント・ヘルプ』(1979年)や『ワールド・サーヴィス』(1981年)などのソロ・アルバムを数多く制作してきた。
作詞家として、ムーアはピンク・フロイドと2枚のアルバム『鬱』(1987年)と『対/TSUI』(1994年)でコラボレーションを行った。そして『永遠/TOWA』(2014年)収録のインストゥルメンタル「Calling」において音楽で貢献した。彼はリチャード・ライトの『ブロークン・チャイナ』(1996年)に歌詞を提供し、ケヴィン・エアーズとさまざまなプロジェクトで協力し、トレヴァー・ラビンの『キャント・ルック・アウェイ』(1989年)とジュリアン・レノンの『ヘルプ・ユアセルフ』(1991年)にも歌詞を提供した。
アンソニー・ムーアの音楽的キャリアは、ピーター・ブレグヴァドと出会ったときに始まった。どちらもレッチワースのセント・クリストファー・スクールの学生であった。彼らはスラップ・ハッピー(名前はブレグヴァドの当時のガールフレンドを指していた)[2]やダム・ダムズを含む様々なバンドで演奏を行った。放課後、ムーアは1969年にヴィラム・ジャサニからインドの伝統音楽を学び、デヴィッド・ラーチャーの『Mare's Tale』のため彼にとって最初の映画サウンドトラックを作曲した。
1971年、ムーアはドイツのハンブルクに移り、ハンブルクの実験音楽シーンで働き、ポリドール・ドイツにて2枚のミニマル・アルバムを録音した[nb 2]。1972年にブレグヴァドがハンブルクのムーアを訪れ、ムーアのガールフレンド(そして間もなく妻になる)のダグマー・クラウゼ[2][3]を加え、ムーア(ギター、キーボード)、ブレグヴァド(ギター)、クラウゼ(ボーカル)というアヴァン・ポップ・トリオ、スラップ・ハッピーを結成することとなった。ムーアとブレグヴァドがバンドの音楽を作曲した。
スラップ・ハッピーは、クラウトロック・グループのファウストをバックバンドに迎え、ポリドール・ドイツにて2枚のアルバムを録音した。ポリドールは1972年に最初のアルバム『ソート・オヴ』をリリースしたが、2枚目の『カサブランカ・ムーン』を拒否した。この拒否によって、スラップ・ハッピーはロンドンへと移り、そこでヴァージン・レコードと契約し、1974年にヴァージンから『Slapp Happy』としてリリースされた『カサブランカ・ムーン』を再録音することとなった(オリジナルの『カサブランカ・ムーン』は、1980年にレコメンデッド・レコードから『スラップハッピィ・オア・スラップハッピィ(アクナルバサック・ヌーン)』としてリリースされている)。1974年、スラップ・ハッピーは前衛グループのヘンリー・カウと短い間ながら合併し、1975年に『悲しみのヨーロッパ』と『傾向賛美』の2枚のアルバムを録音した。しかしながら、その2番目のアルバムを録音した直後、最初にムーアが、そしてブレグヴァドがグループと反りが合わないことを理由に脱退していった。ブレグヴァドは「和音と拍子記号が複雑すぎた」と述べている[2]。しかし、クラウゼはヘンリー・カウと一緒にいることを選び、それがスラップ・ハッピーの終焉を告げた。
ムーアとブレグヴァドはこの時点で共に仕事することを辞めたが、1982年、1997年、2000年、そして2016年から2017年にかけて、スラップ・ハッピーの短期的な再結成に参加している。また、ムーア、ブレグヴァド、クラウゼは、1991年に制作会社のAfter Imageによって制作され、2年後にイギリスのチャンネル4で放送された、特別委託によるオペラ『キャメラ』にてコラボレーションを行った。
ヘンリー・カウ/スラップ・ハッピーを去った後、ムーアは1977年にケヴィン・エアーズとアンディ・サマーズの支援を受けてヴァージン・レコードからアルバム『アウト』をリリースすることでソロとしてのキャリアを再開した。しかし、『アウト』はヴァージンにとって十分に商業的なものではなく、ムーアとの契約はキャンセルされた[nb 3]。1979年と1981年に、ムーアは独立したレーベルから、それぞれ『フライング・ダズント・ヘルプ』と『ワールド・サーヴィス』を録音した。どちらのアルバムも好評となった[4]。『BBCワールドサービス』にインスパイアされた曲「World Service」は、短波ラジオとヘヴィ・ダンス・ビートを組み合わせたシングルとしてリリースされた。
ムーアはヨーロッパのさまざまな場所でフリーランスの作曲家として働き、曲や映画音楽を書いてきた。また、ディス・ヒートのデビュー・アルバム、マンフレッド・マンズ・アース・バンドによる『エンジェル・ステーション』(後に彼の曲「World Service」をカバーしたマンと共同プロデュース)を含む多くのアルバムをプロデュースした。ムーアはまた、3枚のアルバムでピンク・フロイドに協力した。
1996年、ムーアはドイツのケルンにあるケルン・メディア芸術大学で、ニューメディアの文脈における音と音楽を研究する教授に任命された。2000年から2004年までの間には、ケルン・メディア芸術大学の校長を務めていた。ムーアはまた、ヨーロッパの多くの場所を訪れ、音と音楽についての講義を行ってきた。
2002年、ムーアはイェルク・リンデンマイヤーとペーター・C・サイモンと、彼らの名前の頭文字にちなんで名付けられた「LMS」と呼ばれる音楽トリオを結成した[5]。彼らは2002年から2003年の間にフランスとドイツで演奏を行った。
クラウゼ、ムーア、ブレグヴァドは、2016年11月にスラップ・ハッピーを再結成し、ドイツのケルンで開催されたウィークエンド・フェスティバルでファウストと共演した[6]。2つのグループは2017年2月10日・11日にロンドンのカフェ・オトでも一緒に演奏[7]。2017年2月24日、ファウストなしのスラップ・ハッピーが東京の渋谷にあるマウントレーニアホールで演奏した。
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