ウィリアム・S・テイラー
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ウィリアム・シルベスター・テイラー(英: William Sylvester Taylor、1853年10月10日 - 1928年8月2日)は、19世紀末アメリカ合衆国の政治家、弁護士であり、第33代ケンタッキー州知事になった。1899年に行われた州知事選挙で当初テイラーが当選と宣言されたが、ケンタッキー州議会が選挙結果を覆す判断をして、対抗馬の民主党員ウィリアム・ゴーベルが知事になったので、テイラーはわずか50日間の州知事となった。
概要 ウィリアム・シルベスター・テイラーWilliam S. Taylor, 第33代 ケンタッキー州知事 ...
ウィリアム・シルベスター・テイラー William S. Taylor | |
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第33代 ケンタッキー州知事 | |
任期 1899年12月12日 – 1900年1月31日 | |
副知事 | ジョン・マーシャル |
前任者 | ウィリアム・O・ブラッドリー |
後任者 | ウィリアム・ゴーベル |
第19代 ケンタッキー州検事総長 | |
任期 1896年 – 1899年 | |
前任者 | W・J・ヘンドリックス |
後任者 | R・J・ブレッキンリッジ |
個人情報 | |
生誕 | 1853年10月10日 ケンタッキー州バトラー郡 |
死没 | 1928年8月2日(1928-08-02)(74歳) インディアナ州インディアナポリス |
政党 | 共和党 |
配偶者 | サラ・タナー ノラ・A・マイアーズ |
職業 | 農園主, 教師 |
専業 | 弁護士 |
宗教 | 長老派教会 |
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テイラーはあまり教育を受けていなかったが、政治的に洞察力のある弁護士となり、出身地のバトラー郡で役人になることで政界の階段を上り始めた。民主党の強いケンタッキー州にあって、共和党員というハンディはあったが、民主党の分裂に乗じて、ケンタッキー州では初の州知事となったウィリアム・O・ブラッドリーと共に、テイラーも検事総長に当選した。その4年後にはブラッドリーの後を継いで州知事になった。
州議会が選挙結果を覆すと、激怒した共和党員が武装し、州都フランクフォートに集まった。対抗馬の民主党員ウィリアム・ゴーベルが暗殺された。それでもゴーベルはその死の床で知事に宣誓就任した。テイラーは知事に関してゴーベルの副知事候補J・C・W・ベッカムとの法廷闘争で私財を使い果たした。テイラーは訴訟に敗れ、さらにゴーベル暗殺への関与を問われた。テイラーは隣のインディアナ州に逃亡し、その後全ての悪事についても恩赦を与えられたものの、ケンタッキー州に戻ることはほとんど無かった。1928年にインディアナポリスで死去した。