エリザベタ・コトロマニッチ
ハンガリー王兼ポーランド王ラヨシュ1世の2番目の妃 (1340-1387) / ウィキペディア フリーな encyclopedia
エリザベタ・コトロマニッチ(ボスニア語:Elizabeta Kotromanić, 1340年 - 1387年1月16日)は、ハンガリー王兼ポーランド王ラヨシュ1世の2番目の妃。ハンガリー語名コトロマニチ・エルジェーベト(Kotromanić Erzsébet)、ポーランド語名エルジュビェタ・ボシニャチュカ(Elżbieta Bośniaczka)。娘マーリア女王の摂政を務めた。
概要 コトロマニチ・エルジェーベトエリザベタ・コトロマニッチ Kotromanić ErzsébetElizabeta Kotromanić, 在位 ...
コトロマニチ・エルジェーベト エリザベタ・コトロマニッチ Kotromanić Erzsébet Elizabeta Kotromanić | |
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ハンガリー王妃 ポーランド王妃 | |
囚われの身となったエリザベタと娘のマーリア | |
在位 |
ハンガリー王妃:1353年 - 1382年 ポーランド王妃:1370年 - 1382年 |
出生 |
1340年 |
死去 |
1387年1月16日 クロアチア、ノヴィグラード |
埋葬 |
クロアチア、ザダル、聖フリソゴヌス教会 → ハンガリー王国、セーケシュフェヘールヴァール、王室地下納骨堂 |
結婚 | 1353年6月20日 ブダ |
配偶者 | ハンガリー王兼ポーランド王ラヨシュ1世 |
子女 |
カタリン マーリア ヘドヴィグ |
家名 | コトロマニッチ家 |
父親 | ボスニア太守スティエパン2世コトロマニッチ |
母親 | エルジュビェタ・クヤフスカ |
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現代の歴史家たちはエリザベタをしたたかな女王として描くことが多い。彼女は同時代人から、有能だが娘の地位を守るために政治的策謀を駆使した冷酷な政治家と見られていた。エリザベタの死後、マリア・テレジアが即位するまでハンガリーを実質的に統治した女性支配者は現れなかった。