キ77 (航空機)ウィキペディア フリーな encyclopedia キ77は、日本陸軍と朝日新聞社が開発費を分担して、立川飛行機と東大航空研究所が開発・設計を担当し2機のみ製作された長距離飛行のための双発研究試作機。通称A-26の「A」は朝日の頭文字、「26」は皇紀2600年の26。 キ77(A-26) 立川飛行場でアメリカ軍のテストを受けるキ77 用途:連絡機・記録機 設計者:立川飛行機・東大航空研究所 製造者:立川飛行機 運用者: 日本(大日本帝国陸軍) 初飛行:1942年11月18日 生産数:2機 生産開始:1942年 運用開始:1942年 退役:1945年 運用状況:退役 表示 1号機は1944年に新京飛行場(現 長春)を基点とする周回世界記録(未公認)を樹立したが、2号機は1943年にドイツへの連絡飛行中にシンガポールの空港を飛び立った後、インド洋上で消息不明となっている。
キ77は、日本陸軍と朝日新聞社が開発費を分担して、立川飛行機と東大航空研究所が開発・設計を担当し2機のみ製作された長距離飛行のための双発研究試作機。通称A-26の「A」は朝日の頭文字、「26」は皇紀2600年の26。 キ77(A-26) 立川飛行場でアメリカ軍のテストを受けるキ77 用途:連絡機・記録機 設計者:立川飛行機・東大航空研究所 製造者:立川飛行機 運用者: 日本(大日本帝国陸軍) 初飛行:1942年11月18日 生産数:2機 生産開始:1942年 運用開始:1942年 退役:1945年 運用状況:退役 表示 1号機は1944年に新京飛行場(現 長春)を基点とする周回世界記録(未公認)を樹立したが、2号機は1943年にドイツへの連絡飛行中にシンガポールの空港を飛び立った後、インド洋上で消息不明となっている。