マルクス・トゥッリウス・キケロ
共和政ローマ末期の政治家、弁護士、文筆家、哲学者 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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マルクス・トゥッリウス・キケロ(ラテン語: Marcus Tullius Cicero, 紀元前106年1月3日[1] - 紀元前43年12月7日[2])は、共和政ローマ末期の政治家、弁護士[3]、文筆家、哲学者である。名前はキケローとも表記される。カティリーナの陰謀から国家を救うなど活躍し、入ることを熱望していたオプティマテス寄りの論陣を張って、ガイウス・ユリウス・カエサルやオクタウィアヌスらを食い止めようと試みたが叶わなかった。
概要 マルクス・トゥッリウス・キケロMarcus Tullius Cicero(M. Tullius M. f. M. n. Cicero), 誕生 ...
マルクス・トゥッリウス・キケロ Marcus Tullius Cicero (M. Tullius M. f. M. n. Cicero) | |
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マルクス・トゥッリウス・キケロ胸像 | |
誕生 |
紀元前106年1月3日 アルピヌム |
死没 |
紀元前43年12月7日(満63歳没) フォルミア |
職業 | 政治家、弁護士、哲学者他 |
言語 | 古典ラテン語 |
国籍 | 共和政ローマ |
市民権 | ローマ市民権 |
代表作 | 『国家について』『法律について』『義務について』他 |
政務官履歴 クァエストル(シキリア、紀元前75年) アエディリス・プレブス(紀元前69年) プラエトル(紀元前66年) 執政官(紀元前63年) レガトゥス(ポンペイウス配下、紀元前57年) アウグル(紀元前53年-43年) プロコンスル(キリキア総督、紀元前51年-50年) プロコンスル(ギリシャ、イタリア担当、紀元前49年-47年) レガトゥス(ドラベッラ配下、紀元前44年) | |
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哲学者としてはラテン語でギリシア哲学を紹介し、プラトンの教えに従う懐疑主義的な新アカデメイア学派から出発しつつ、アリストテレスの教えに従う古アカデメイア学派の弁論術、修辞学を評価して自身が最も真実に近いと考える論証や学説を述べ、その著作『義務について』はラテン語の教科書として採用され広まり、ルネサンス期にはペトラルカに称賛され、エラスムス、モンテスキュー、カントなどに多大な影響を与えた。又、アリストテレスのトピックスに関して『構想論』『弁論家について』『トピカ』の三書を著し, 後のボエティウスによるその概念の確立に大きく貢献している(例えばトピック (論理学)参照)。
キケロの名前に由来するイタリア語の「チチェローネ」という言葉は「案内人」を意味するが、ギリシア哲学の西洋世界への案内人として果たした多大な影響をよく物語っている[4]。