コジモ・ロッセッリ(Cosimo Rosselli、1439年生まれ、1506年以降に死去)はイタリアの画家である。サンドロ・ボッティチェッリギルランダイオらとバチカンシスティーナ礼拝堂の壁画を描いたことなどで知られる。

概要 コジモ・ロッセッリCosimo Rosselli, 生誕 ...
コジモ・ロッセッリ
Cosimo Rosselli
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18世紀に描かれたっ肖像画
生誕 1439年
フィレンツェ
死没 1506年以降
フィレンツェ
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ロッセッリ作「聖母子と聖人」

略歴

トスカーナフィレンツェで生まれた。画家の一族の出身で、弟のフランチェスコ・ロッセッリ(Francesco Rosselli: 1445年生まれ)は版画家、地図出版の仕事で知られている。いとこのベルナルド・ディ・ステファノ・ロッセッリ(Bernardo di Stefano Rosselli: 1450-1526)も画家になり、コジモ・ロッセッリとともに働いた[1]

14歳でフィレンチェの画家ネーリ・ディ・ビッチ(Neri di Bicci)の工房に入った。ジョルジョ・ヴァザーリの『画家・彫刻家・建築家列伝』によれば、1459年にはフィレンチェのサンタトリニータ教会の装飾画を描いたとされる。その後もフィレンツェやトスカーナのルッカなどの教会の装飾画を描いた。

1480年に、ロッセッリは、サンドロ・ボッティチェッリギルランダイオペルジーノといったフィレンツェの画家たちとともに、ローマ教皇シクストゥス4世に招かれ、バチカンシスティーナ礼拝堂の壁画装飾の仕事に加わった。その頃、ロッセッリの弟子であったピエロ・ディ・コジモ(c.1462-1521)も同行した。ロッセッリが描いたとされているのは、『シナイ山から下山したモーセ』、『最後の晩餐』などがある。かつてロッセッリとギルランダイオの作品とされた『紅海横断』はその後、ビアージョ・ダントーニオの作品とされた。

1482年にフィレンツェに戻り、その後もフィレンツェの教会のために働いた。

弟子にはピエロ・ディ・コジモの他にフラ・バルトロメオマリオット・アルベルティネッリ、アーニョロ・ディ・ドメニコ・デル・マッツィエーレ(Agnolo di Domenico del Mazziere)らがいる。

ジョルジョ・ヴァザーリは没年を、1484年と伝えたたが、1506年11月25日に活動の記録がありヴァザーリの記述は間違いだとされている。

作品

脚注

参考文献

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