シェラ (モロッコ)

モロッコの遺跡 ウィキペディアから

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シェラ(フランス語: Chellah, アラビア語: شالة)は、モロッコの首都ラバトにある、古代ローマ時代とマリーン朝時代の遺跡。2012年に「近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバト」として世界文化遺産に登録された。別称はサラ・コロニア

概要 シェラChellah شالة, 所在地 ...
シェラ
Chellah
شالة
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所在地モロッコの旗 モロッコラバト
座標北緯34度0分24秒 西経6度49分13秒
形成紀元前7世紀 - 紀元前5世紀[1]
建設1世紀(サラ・コロニア)
13世紀(シェラ)
登録名: 近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバト
区分文化遺産
登録日2012年
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シェラ (モロッコ)
ラバトにおけるシェラ
Chellah
شالةの位置
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シェラ (モロッコ)
シェラ (モロッコ) (モロッコ)
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概要

ラバト東部から北部を流れるアブールグルグ川英語版の左岸に立地する。

シェラ遺跡は1世紀頃の古代ローマ時代の遺跡の上に13世紀末頃のマリーン朝時代の墓地があり、2つの異なる時代の遺跡が混在している遺跡である。遺跡はマリーン朝時代の城壁によって囲まれている[1]。 現在、シェラ遺跡は考古学公園として一般公開されている。また、発掘品はラバトの考古学博物館英語版で展示されている[2]

また、シェラはラバトに隣接するサレの名前の由来にもなっている[3]

歴史

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古代ローマ時代の遺跡

1世紀、ローマ人によってサラ・コロニアと呼ばれていた街が形成される。サラ・コロニアは主要な港として栄え、商業の中心地となった。発掘調査からサラ・コロニアには寺院、バシリカフォルム民会などがあったことが判明している[1][4]。4世紀頃までローマ軍が駐在していた[5]その後に衰退。

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14世紀に建設された城壁と門
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マリーン朝時代に建設されたミナレット

1284年、マリーン朝の6代君主のアブー・ユースフ・ヤアクーブの妻の墓所をこの遺跡に建設[5]。その後、1286年の彼の死後、同じ場所に埋葬される。1339年にマリーン朝11代君主アブー・アルハサン・アリーによって城壁やモスクなどが建設される。
1755年リスボン地震によってシェラは大きな損傷を受け放棄される[1][4]

2012年、「近代的首都と歴史的都市をあわせもつ遺産ラバト」として世界文化遺産に登録された[1]

脚注

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