ジェムソン・アイリッシュ・ウイスキー
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ジェムソン・アイリッシュ・ウィスキー、通称ジェムソン(英語: Jameson)はペルノ・リカール社の子会社であるアイリッシュ・ディスティラーズ社で製造されるブレンド・アイリッシュ・ウイスキーの一つである。輸入元のペルノ・リカール・ジャパンは「ジェムソン」の日本語表記を採用しているが[1]、「ジェイムソン」を採用する出版物もある[2]。
種類 | アイリッシュ・ウイスキー |
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製造元 | アイリッシュ・ディスティラーズ(英語版) (ペルノ・リカール) |
発祥国 | アイルランド・コーク(英語版) (当初はダブリン) |
販売開始 | 1780 |
プルーフ | 80 |
派生品 | Crested Ten, 12 Year Old, 18 Year Old, Gold |
関連商品 | パディー(英語版)、パワーズ(英語版)、タラモア・デュー |
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アイリッシュ・ディスティラーズ社の母体となるジョン・ジェムソン・アンド・サン・アイリッシュ・ウイスキー会社は1810年に設立された。ジョン ・ジェムソンとその息子(同じくジョン・ジェムソン)がダブリンにあったボウ・ストリート蒸留所(もともとジェムソンの妻のいとこの実家であるスタイン家が1780年に設立していた)の経営権を取得したことが始まりである。ジェムソンは、スコットランドのクラクマンナンシャー州アロア出身の弁護士であったが、ヘイグ蒸留所を所有していたヘイグ家の娘であるマーガレット・ヘイグと結婚した。マーガレット・ヘイグは、スコットランドで蒸留所を経営する同じくクラクマンナンシャー出身の一族のスタイン家のいとこにあたる。スタイン家は、スコットランドとダブリンで手広くウイスキー造りを行っていた。1786年にマーガレット・ヘイグと結婚したジョン・ジェムソンは、妻と共にダブリンに移り、マーガレットのスタイン家のおじに代わって、ボウ・ストリート蒸留所(1780年設立)の経営に携わることになった。このように、ジェムソンが、ボウ・ストリート蒸留所で製造したウイスキーの販売を始めたことから、この蒸留所が設立された1780年をもってジェムソン・アイリッシュ・ウイスキー事業の始まりとすることが沿革に記されることとなった[3]。サー・ヘンリー・レイバーンの手になるジョン・ジェムソンとマーガレットの肖像画が、アイルランド国立美術館に収められている。
ジェムソン・ウイスキーは、もともと、ダブリンのウイスキーの主要6銘柄の一つだったのだが、今はコークで製造されている。 2013年の出荷量は、470万ケース(5,640万本)であった。ジェムソン・ウイスキーは、19世紀の初めに国際マーケットに進出して以来、今では世界で売上高断然一位を誇るアイリッシュ・ウイスキーである。中でも アメリカがジェムソン・ウイスキーの最大の市場で、2013年には当市場でのジェムソン・ウイスキーの消費量は12%上昇した[4]。