イシドールス
西ゴート時代のセビリア大司教、ラテン教父の一人 / ウィキペディア フリーな encyclopedia
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セビリャのイシドールス(西: San Isidoro de Sevilla、羅: Isidorus Hispalensis、 英語:Saint Isidore of Seville、560年頃 - 636年4月4日)は、中世初期の神学者で、後期ラテン教父の中でも最も重要な神学者の一人であり、カトリックでは「インターネット利用者およびプログラマー」の守護聖人[2]。 30年以上セビリャ大司教を務めた。多くの重要な著作を遺し、とりわけ歴史書は中世のヒスパニア[3]地域で書き継がれた複数の史書の範とされる。
概要 セビリャの聖イシドールス, 他言語表記 ...
セビリャの聖イシドールス | |
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セビリャのイシドールス イシドールスは思想家としては二流で、その本領は知識の収集とその簡潔で明快な紹介にあるが、それゆえにこそ「無知の暗闇に沈みかけた」古代末期から中世初期の時代において、思想史上重要な位置を占めたのである。その後の思想史の展開において、イシドールスの影響は非常に幅広い[1] | |
他言語表記 | San Isidoro de Sevilla(西) |
生誕 |
560年頃 カルタヘナ |
死没 |
636年4月4日 セビリャ |
崇敬する教派 |
カトリック教会 東方正教会 |
列聖日 | 1598年 |
列聖場所 | ローマ |
列聖決定者 | クレメンス8世 |
記念日 | 4月4日 |
守護対象 | インターネット利用者およびプログラマー、学生 |
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イシドールスが生きたのは、古典文化が没落し、「蛮族」の政治・文化とせめぎ合う時代であった。長兄レアンデル[4]と協力して、西ゴート王の、アリウス派信仰からカトリックへの改宗に関与した。そして兄の死後も彼はカトリック布教の努力を継続した。レアンデルと同じように、トレドとセビリャで開かれた宗教会議[5]で主導的な役割を演じた。レアンデルとイシドールスの兄弟は、その政治的手腕によって今日の歴史家から見ても意義のある変化をもたらしたともいえる。なぜなら、この教会会議で発議された西ゴート王国の法令は代議制政治の発達にとっても重要な契機となっているからである[6]。