バサラブ家
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バサラブ家またはバサラブ朝(英: House of Basarab、またはBazarab、Bazaraadとも綴る。ルーマニア語: Dinastia Basarabilor)は、ワラキア公国の成立に重要な役割を果たし、ワラキア公を輩出した家系である。モルダヴィア公を輩出したボグダン=ムシャト家とも血縁がある。ワラキア公国は選挙君主制を採っており、公はバサラブ家の男子成員の中からボヤールにより選ばれた (多くの場合、候補者はその軍事力を背景として選ばれた)。1436年にアレクサンドル1世アルデアの治世が終わると、バサラブ家は有力な分家であるダネシュティ家とドラクレシュティ家が互いに自らの正当性を主張しあって分裂した。後にダネシュティ家の男系子孫が絶え、代わりにクラヨヴェシュティ家がこの争いに加わり、ネアゴエ・バサラブ、マテイ・バサラブ、コンスタンティン・シェルバン、シェルバン・カンタクジノ、コンスタンティン・ブルンコヴェアヌらが公位を争った。
概要 バサラブ家 Dinastia Basarabilor, 国 ...
バサラブ家 Dinastia Basarabilor | |
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王朝 | |
バサラブ家の紋章 | |
国 | ワラキア公国 |
創設 | 1310年 |
家祖 | バサラブ1世 |
最後の当主 |
モイゼ・ヴォーダ (ダネシュティ家) ミハイ勇敢公 (ドラクレシュティ家) |
滅亡 |
1529年 (ダネシュティ家) 1601年 (ドラクレシュティ家) |
民族 | ヴラフ人 |
分家 |
ダネシュティ家 (ダン1世) ドラクレシュティ家 (ヴラド2世) |
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ワラキア公としてよく知られる人物として、ミルチャ1世、ダン2世、ヴラド2世、ヴラド3世 (ヴラド・ツェペシュ)、ヴラド僧公、ラドゥ4世、アフマツィのラドゥらがいる。