ヴワディスワフ1世 (オシフィエンチム公)
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ヴワディスワフ1世(Władysław I Oświęcimski、1275年/1280年 - 1324年5月15日)は、オシフィエンチム公(在位:1315年 - 1324年)。チェシン公ミェシュコ1世の長男。
概要 ヴワディスワフ1世 Władysław I Oświęcimski, 在位 ...
ヴワディスワフ1世 Władysław I Oświęcimski | |
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オシフィエンチム公 | |
ヴワディスワフの印璽、1317年 | |
在位 | 1315年 - 1324年 |
出生 |
1275/80年 |
死去 |
1324年5月15日 |
埋葬 | オシフィエンチム、ドミニコ会修道院 |
配偶者 | エウフロジナ・マゾヴィエツカ |
子女 |
ヤン1世 アンナ |
家名 | シロンスク・ピャスト家 |
父親 | チェシン公ミェシュコ1世 |
母親 | グジミスワヴァ |
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1290年、父ミェシュコ1世がチェシン公国の単独統治者となって間もなく、ヴワディスワフ1世は父の共同統治者とされた。1315年にミェシュコ1世が死ぬと、ヴワディスワフ1世は首都チェシンを相続せず、より重要性の低いオシフィエンチムを領有した。このことは後に弟カジミェシュ1世との政治的紛争の原因となり、ヴワディスワフ1世は弟との争いを有利に進めるため、同名のポーランド国王であるヴワディスワフ1世(短躯王)の同盟者に加わることになった。ヴワディスワフ1世の死亡時期ははっきりしないが、1321年から1324年の間だったといわれる。遺体はオシフィエンチムのドミニコ会修道院に埋葬された。